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BLOG - フイナム ランニング クラブ♡

KOUMI100参戦記 〜あるいは5についての考察〜 後編

前編はコチラ

「あれ?すずさん荷物少なくないですか?」

言われて気付いた。今回は代々木上原を拠点とするランニングチーム「チキンハート・ランニングチーム(以下チキンハート)」と行動を共にさせて貰ったのだが、待ち合わせ場所であった登戸駅で石山に言われて僕は初めて気付いたのだ。

ザックがない。

数多ある中から選び抜かれたベストなギア、着替え用のギア(100マイルレースは故障や気分転換の為に途中でギアを変える事がある)、下着、ストック、旅のしおり等が入った大事な大事なザックを、僕は小田急線の網棚に豪快に忘れてきたのである。電車を降りる際、補給食の入った大きなショッピングバッグを持った事で、荷物を持った気になってしまった。

井上陽水の「傘がない」をア・カペラで歌いたい。

こんなデカい荷物を普通忘れるか?

すぐさま窓口で駅員に相談したが、なかなか見つからない。最悪見つからなかった時の為に、一旦家に帰って違う装備を持ってくる案も仲間から提案された。100kmくらいのレースならそれでもなんとかなるだろう。しかしながら、今回の相手は昨年けちょんけちょんにされてDNFしたKOUMIである。ベストではないギアで臨み、スタートから心が折れた状態でそれを完走出来る走力とメンタルが自分にあるとは思えなかった。                              

とは言え、こんな阿呆みたいな理由でDNSなんかした日にゃあ、生き恥過ぎて誰にも顔を合わせられない。このまま小海ではなく、ジャマイカあたりに飛んでレゲエのビートに合わせてマラカスを振るい鳴らしながら何もかも忘れて踊り狂いたい。

まあ結局はリカバリに3時間くらいかかったものの、無事にザックは相模大野の車庫で見つかったんだけれどもね(あっさり)。

それからは順調に小海町に到着し、昨年と同じく会場近くの定食屋「風とり」でランチを食ってから無事に受け付けを済ませた。

ボリュームたっぷり「肉うどん&シラス丼セット」

小海まで一緒に向かったメンバー。左からコータロー、浜ちゃん、筆者、石山

同じく受け付けを済ませたチキンハートのメンバーらと

前泊の宿は、14km地点のエイドステーションにもなっている稲子湯。チェックイン後すぐに明日の準備をし、早めの晩飯を済ませて(ビールは一瓶で我慢)20時前には床についた(睡眠薬投与)。

AM2時半(はやっ)。これから暫く入れない風呂に入って目を覚まし、荷物をまとめて車で会場に向かう。稲子湯は既に標高1400mくらいはあったと思うが、幸いその時間でも然程寒くはなかった。見上げれば、息を飲むくらいに美しい星空が広がっている。それがこれからの長い旅路における行く末を暗示しているかのようで、少し勇気付けられた。

人間は正常化バイアスという本能がある為、可能な限り自分を正当化したがるものである。つまり、望ましくない事態が発生してしまった場合、その行動にもっともらしい理由をつける事で心の平穏を保とうとするのだ。例えば「走りにいかなきゃなあ、けど面倒臭いなあ」という時、雨が降ってくると「あ、雨だ。驟雨だ。滔々と降っている。雨なら仕方ないやね。では麦酒でも飲むか、ぐびぐび。美味い」と走るのを諦めた経験は無いだろうか?この時、自分の怠惰を肯定したくないから、雨を理由にして自分の選択を正当化しているのである。

しかしながら、この人間心理を逆に利用すれば、自らをポジティブな方向に導く事も可能になる。このレースを完走する為に何km走ってきた?いくら使った?ザックも見つかった。万全の装備でスタート地点に立てる事は、なんて幸せなんだろう。スタートから大雨だった昨年と違って、天気も良さそうだ。

完走するしかない。

2020年大会のゼッケンは、リベンジを誓って部屋の壁にずっと掲げておいた

100マイルレースを仕留めるにあたり「最後は気持ち」とよく言われるが、この非ロジカルな考え方はあながち間違えていないと思う。ロングレースには、辛い苦しい場面が必ずやってくる。その時ちょっとでも隙(辞める理由)を見せたら、この過酷なレースは途端に畳み掛けて来るだろう。強固な岩壁の裂罅から漏れ出た水が、やがてそれを大きく破壊していくかのように。

「絶対に完走する。それ以外の選択肢は無いんだ」

夜明け前の午前4時45分。緊張とリラックスが程良くブレンドされたベストなコンディションで僕はスタート地点に立った。

スタート直前に仲間と

<1周目> 想定タイム:6時間00分→実績:5時間33分00秒(周回順位:321位/423人)

レース特有のアドレナリンに騙されないように、飛ばす周りに惑わされないように6:00〜6:30/kmくらいのペースでゆっくりと約2.5kmのロードを走る。僕のような完走目標レベルのランナーは、1周目はアップぐらいの気持ちで抑えて抑えて抑えまくって走るのがKOUMI攻略のセオリーである。林道に入ってから程無く歩き始め、気軽なハイキングのような気持ちで、知り合いに会ったら話をして出来るだけ心にストレスを与えないように進んで行く。

第1エイドから第2エイドまでのロード区間

10kmほど進んだところで第一エイドの本沢温泉に着いたが、水はほぼ減っていないのでスルー。ここからロードの下りになるが、脚にダメージが溜まらないようにゆっくりと優しく、5:45/kmを切らないように走る。1kmほどのロードの登り返しを経て、第二エイドの稲子湯に到着したが、ここもスルー。ロードの登りを歩きながらストックを出し、淡々と登って行くと程なくニュウの登りである。相変わらず斜度の高いトレイルだが、道が川になっていないだけで嬉しい。ここを頑張り過ぎて辛い思いをすると、「またニュウを登らなければならないのか」と後半に精神がやられる。ゆっくりと、自分よりもペースの速い人が来たら積極的に道を譲ってマイペースを崩さずに。

3.5km程進み、折り返し地点に着いたが休む事なく下って行く。ここから大エイドまで、途中にある3kmほどのロード登りは歩いたものの、それ以外は良いペースで走る事が出来た。

ニュウの下りでたまたま一緒になったはたちゃん、金田一さんと

戻って来ると、昨年に続き応援に来てくれたフイナム ランニング クラブ♡のメンバーが迎えてくれて元気を貰う。あと140km。

<2周目> 想定タイム:6時間30分→実績:5時間59分46秒(出発前のエイドワーク9分41秒 周回順位:216位/423人)

1周目と同様に、ゆっくりとしたペースで林道の登りまで走る。本沢温泉エイドまで景色がほぼ変わらないので、1周目よりも長く感じる。基本的に登りは歩き、平地や下りは走るようにしていたが、全体的に若干ペースが遅くなっているのが分かる。しかしここで無理をしてはいけない。まだ半分も終わっていないのだ。

2周目になると人もバラけてくる

想定よりも早い時間で走れているが、無理をしている感覚は無いのでそのまま進む。暑過ぎず寒過ぎずの気温で、エイドはほぼスルー。

大エイドに戻ると、サポートメンバーがテキパキと補給を手伝ってくれた。とてもありがたく、サポートを仕切ってくれていたマル(同い年のおっさん)に感謝のチュウでもしてあげようかと思ったが、後半のダメージに響きそうなのでやめておいた。あと105km。

選手を支えてくれたサポートメンバー。中央がマル

<3周目>想定タイム:7時間00分→実績:6時間56分59秒(出発前のエイドワーク8分42秒 周回順位:171位/423人)

KOUMIは3周目からがスタートと言われる。毎年3周を終えたところでカットオフタイム(4周目を28時間以内で終える)に間に合わない事が分かり、次の周回に出られない選手が数多いるからである。僕は1〜2周目を想定よりも1時間早く終えられたので割と余裕はあったが、まだ油断は出来ない。3周目は途中からナイトパートになるので確実にペースは落ちるし、脚に疲れも感じてきている。進むスピードは更に遅くなってはいるが、まだまだ走れないほどじゃあない。ただ3周目から無事に帰還しても、脚が終わってしまっていたら元も子もない。如何に余力を残して3周目を終えられるか、それがKOUMI完走の鍵だと言われている。

2周目までは全走り出来た箇所でも、3周目となると歩きも交える事になってくる。本沢温泉エイドに向かう林道の途中ですっかり日も落ちたのでヘッデンを点灯。ナイトパートは好きな人、嫌いな人に分かれるが僕は前者なので然程苦にはならない。ただ、視界が狭いので走りにくい事は間違いない。そしてずっと景色が変わらないのでより一層林道が長く感じたが、心を殺して機械のように一歩一歩足を進めていく。「そうすればいつかは辿り着くだろう。向かっている訳だからな。違うかい?」みたいな事を誰かが言っていたし。

ナイトパートは選手の顔が見えないので、すれ違いざまに名前を呼ばれ、「誰⁈」というやりとりもしばしば

ただでさえ足場が良くないニュウなので、夜はより気を使って進む必要がある。まだ時間も体力もあるのに、怪我をしてDNFする訳にはいかない。下りもテクニカルな箇所が多いので、ここでかなり時間を取られてしまった。また、下り基調の復路も歩く時間が多くなってきている。とはいえ、まだまだ折り返し。この程度の疲れ具合のまま7時間で3周目を終えられれば、完走の光が見えてくる。楽観視は良くないが、悲観視してもいけない。程良い精神バランスで、最後の林道もそこそこ走る事が出来た。昨年の3周目はぬかるみと脚の痛さでほとんど走れなかった事を考えると、良い傾向と言える。ほぼ想定通りのタイムで3周目から帰還。あと70km。

あまり食欲は湧かないが、煙草は吸いたくなる

ここで少しペーサーの話をしよう。KOUMIにはペーサー制度があり、前もって希望した選手は4周目からペーサーと一緒に走る事が出来る。完走したいなら絶対にペーサーは付けた方が良いよと多くの人に言われたが、僕は昨年に続きそれをしなかった。「初めての100マイル完走は一人でやりたい」、そう決めていたからである。僕にとって長距離レースの醍醐味は、日常ではなかなか会えない自分と対峙出来る事だ。

“Pain is inevitable. Suffering is optional.”という言葉がある。ルーマニアのマラソン選手であり、シドニー五輪の銀メダリストであるリディア・シモンのそれだが、村上春樹の名著『走ることについて語るときに僕の語ること』でも引用されているので、このブログを読んでいる人ならご存知の方もいるだろう。正確なニュアンスは難しいが、簡単に日本語訳すると「痛みは回避し難いが、苦しみは選択可能だ」といったところであろうか。

長距離レースの後半を無痛で走っている人は少ない。つまり、脚が痛いとか眠いとか気持ち悪いといった不快な感覚は客観的事実として回避は出来ないが、それをどんな形で処理するかは自分で選択が出来るという事である。その瞬間、自分と会話する時は隣に誰もいて欲しくない。この考え方は、僕が長距離レースを走る上でとても重要な指針となっている。

閑話休題。

<4周目>想定タイム:8時間00分→実績:7時間49分43秒(出発前のエイドワーク18分20秒 周回順位:179位/423人)

4周目は入りからナイトであり、眠気も感じてくる。しかもあと2周。1周なら良いけど、あと2回もまたニュウに登らなきゃならないのか。そう考えるとなかなか足を踏み出せなかった。5という数字を理解しようと、今まで色々な事を5回やってきたつもりだが、僕はその数字の本当の意味を分かっていなかったようだ。

5は3より2つ多い

当たり前だろうと思うだろうが、この事実を芯から理解しておく事はKOUMI攻略に当たって肝要だという事を真剣に伝えておきたい。

ニュウへ向かう途中、チキンハートのヒデキとすれ違う

4周目で苦しめられたのは、ニュウと復路ロードの登りだった。ニュウでは疲労が溜まった脚がなかなか上がらず、スピードも出ていないのに息が切れて途中真っ暗闇の中で何度も立ち止まった。また、ロードの登りは単調ゆえに猛烈な眠気が襲ってきた。満を持してカフェイン錠剤を投与したが、すぐに効果は出ないので歩きながら寝る事を試みる。10秒目を瞑って前方確認、10秒目を瞑って前方確認を繰り返す。あまり効果は無かったような気もするが、この行動を意識するだけで少し単調さが軽減され、カフェインが効いてくるまでなんとかやり過ごす事が出来た。

そんなこんなで歩きを交えながらも復路の林道をヨタヨタ走り、なんとかカットオフタイムの2時間ほど前に4周目をクリア。とりあえずは良かった……。だがしかし、まだまだどうなるか分からない。あと35km。

4周目から戻ると、フイナム女子ズのサプライズ出迎えが

<5周目>想定タイム:8時間00分→実績:7時間53分43秒(出発前のエイドワーク15分41秒 周回順位:183位/423人)

他の選手に羨ましがられる程の応援を女子から受け、元気いっぱいになって5周目をスタートしたものの、脚が痛くて長く走る事が出来ない。走って歩いてを繰り返しながらロードを進んで行く。KOUMIでは5周目はウイニングランだと言われたりもするが、ウイニングランが35km……、な、長くね?まだまだ油断は出来ない。過去のリザルトをみると、完全に脚が終わったのか、最終周で10時間以上かかる選手も珍しく無いからである。

それでも尚、これで最後だと思うと全ての景色が4周目までとは違って見えてくる。見た事が無い景色が見たいといつも思って生きているが、景色というのは見る人の心によって如何様にもその姿を変えるものだと改めて感じる。永遠に続くのかと思うくらい長い林道、どこがコースか一瞬分からないような荒れたトレイル、何の眺望も無いニュウの折り返し、退屈なロードの登り……。愛着とはとても言えないが、それらに対して上手く言葉では言い表せない奇妙な感情を自分が抱いている事に気付く。

ようやくニュウの折り返しまで辿り着いた時、もう大丈夫だろうと初めて完走を確信した。とは言え脚の痛みはいよいよ強く、そこからの下りは歩き混じりになってしまった。それでも最後の林道では、もう余力を残す必要も無いので痛みを抱えながら6:00/kmくらいで走る事が出来た。

ニュウの折り返しで長時間選手を支えてくれたボラの方々

完走を確信した最後のニュウ折り返しで

ゴール。34時間13分11秒。

やれやれ、今日はもうこれ以上走らなくても良いんだ。

ロングトレイルはしばしば旅に例えられるが、35kmのコースを5周回するKOUMIは旅と言うよりもある種の修行に近い。想像出来てしまうが故に、「疲れたこの身体でまたあそこに行かなきゃならないのか」と次の周回に一歩踏み出すには相当な覚悟を要するからである。

それでも尚、このレースが大好きで毎年参戦している人も少なくない。僕自身、レース途中ではもう二度とKOUMIは出ないと思っていたが、走り終えてみるとそういった人の気持ちも少しは理解出来る。数多の選手とすれ違う中で、互いを励まし、讃え合い、一つの大きな敵に向かって皆で立ち向かっているような感覚は他のレースではなかなか味わえないものだ。

ただ100マイルという距離を初めて走り切った率直な感想としては、決してこれがトレランの最高峰じゃあないなと言うものだった。トレランを趣味としていると、ややもすればもっと長い距離へもっと長い距離へと人は向かいがちだ。100マイルばかりを好んで走る人も珍しくはない。しかしそれはあまりにも長いし、それなりの準備を要する。僕はレース後の一週間ほど、いくら寝ても慢性的な疲れが抜けず、日常生活にちょっとした支障もあった。

みんながみんなコレを目指すのは違うというのが、僕の個人的な意見だ。殆どのランナーにとっては所詮趣味の話である。今更言うまでもない事ではあるが、やりたいと思う人だけが勝手にやれば良い。「みんなトレランやっているなら100マイル目指そうぜ!」とは個人的にはつゆとも思わない。30kmや50kmのレースを主戦場としていて、僕よりすごいランナーはニュウの苔の数よりもいる。

ただ走って良かったかと聞かれたら、僕は迷い無く「走って良かった」と答える。上記のような考え方が出来たのも、自身の目でその景色を見たからこそであり、記録、感想、このレポート全てが僕の作品だ。ツギハギだらけで見栄えも悪く形もイビツ、決して声高に人に誇れるモノではないけれども、今後の僕の人生において熱源となり、時に凍える夜には心を温めてくれるだろう。

最後にこの場を借りて、この大会に関わった全ての方々、現地で僕を応援してくれた人、今まで僕と一緒に走ってくれた全てのランナー、そばで支えてくれた人、健康な身体に育ててくれた家族に御礼を言いたい。皆さんがいなければ、この長いレースを走り切ることは出来なかったはずだと僕は確信している。

終わり

 

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