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BLOG - 蔡 俊行(フイナム発行人)

俺たちの箱根駅伝 パート2

 俺の○○、という飲食店が一時大人気だった。超行列店となってた。もしやいまも人気なのかもしれない。そうだったらごめんなさい。ハンバーグ、フレンチ、イタリアン。さらなるジャンルも広がっているようだ。調べるとハンバーグは別会社のようだが、まあそれはそれで。

 どうして「俺の」を取り上げたかと言うと、前回書いた「俺たちの箱根駅伝」をまだ引きずっているから。俺の俺の、というとちょっと圧しが強い感じであるが、読んでいるうちに「ぼくたちの」と表現してもいいかなと思った。「私たちの」となると畏まりすぎだが、「俺たちの」とするには選手たちは飄々としている。しかしやはり最後には「俺たちの」で良かったのだと納得した。

 ちなみに「俺」、「ぼく」、「私」という自分を表す代名詞は相手によって使い分けた方がいいです。目上の前やパブリックな場で「俺が」なんて主張するのはいただけません。これでは子供です。

 それにしてもこの小説は、大衆小説かくあるべしという見本のような作品。その意味で池井戸潤は現代の司馬遼太郎とぼくは(←ここ大事)最大級の賛辞を送っている。時代小説と現代小説ではジャンルは違うものの、誰もが読めるエンターテインメント性があり、共感できる登場人物が複数いて、読み手それぞれに贔屓がある。今朝は妻とドラマ化するならキャスティングをどうするなどと話が盛り上がった。こんな話ができる小説こそ大衆小説である。読んだ人たちが集まり、居酒屋などで好き放題言い合える。村上春樹もいいけれど、やはり文学作品ではこうは盛り上がらない。

 もう一点、大衆小説と呼べる最大のポイントはリーダブルということ。つまり読み易い。難しいレトリックを使わず、すいすい読める。読書が苦手な人でも、上下巻はヘビーという人でもまったく問題ない。読書レベルというのがあるかどうか知らんが、初級レベルでも完走できる。しばらく本を読んでないという人にこそ読んでもらいたい。

 こういう小説を書いてくれる人がいるのは本当にありがたい。一昨日の朝刊の文藝春秋の広告でこの小説が20万部突破とあったが、100万、200万と売れて欲しい。

 

 

 

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