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BLOG - 蔡 俊行(フイナム発行人)

野球道

「マルタ騎士団ー知られざる領土なき独立国」(中央公論新社刊、武田秀太郎著)という本を読んでいる。これがとてつもなく面白い。騎士に叙任されたいうから著者が書く騎士団の歴史。十字軍ものが好きな自分にとっては「キングダム・オブ・ヘブン」以来のストライク。

 キリスト教側だから偏っている叙述もある。スルタンは兵士の命を紙切れくらいにしか思っていないというような叙述もそのひとつ。時代や思想、文化などでそういう面はあったかもしれないが、どの文明でも中世においては兵の命なんてそんなものだった。

 兵の命の軽さについては、昔の映画「スターリングラード」を思い出す。

 スターリングラードの攻防戦で銃器不足に陥っていたロシア兵は、二人に一人が銃を持ち、素手の兵士と一緒にドイツ軍に向かって突撃する。銃を持った兵士が倒されたら、素手の兵士がその銃を拾い、そしてまた突撃するという作戦だ。素手で突撃なんて、心もとないなんてもんじゃない。本当にあったエピソードと聞いてロシアだけに、恐ろしや、と思ったものだ。いまもウクライナに向けて同じようなことをやっているのかもしれない。

 銃器ではないがぼくらが子供ころは、野球の道具は貸し借りというか、使い回しが当たり前だった。バットは一本しかないし、グローブも数個。チェンジになると守備側が攻撃側にグローブを放り投げては使い回していた。ボールのよく転がる三塁手、そして一塁手、キャッチャー以外は素手で遊んでいたものだ。軟球だったしね。

 そんな環境からプロ野球選手になった人も少なくない。

 先日、道具にお金がかかりすぎるから野球人口が減っているというようなニュースを読んだ。グローブにバット、スパイク、ユニフォーム。なんなら遠征費に揃いのジャージとバッグ、さらに応援の父母まで揃いのウェアを買わなくてはならないとか。スターリングラード攻防戦並みのナンセンスだ。

 記事の締めは、日本は貧乏になったというようなニュアンスだった。確かにそうかもしれないが、問題の本質は他にもあるような気がする。同質化しなくてはならないという同調圧力、つまり日本独特の社会病という面だ。親が揃いの服着て応援しなくてはならない国なんて他に知らない。

 サッカーがこれだけ世界で人気なのはボールがあれば裸足でも遊べるスポーツだから。お金のかかるスポーツは「普及の壁」がある。

 極端だが、ポロなんて一部の金持ちしかやれない。

 そういう意味で野球は、ぼくらが子供ころにやっていたようなやり方にヒントがあるのでは。さすがに梶原一騎でもポロ版の星飛雄馬は描けなかっただろうから。

 

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