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結局京都に移住しても東京という街を意識せずに日々を送るなんて不可能で。ネットワーク上に張り巡らされた情報は東京を中心としていて、それは自分のフィルターバブルが故であることを強く感じさせる。パーティーのストーリー、誰かが酔いどれた写真、ポップアップショップの行われる店内、スケボーで見慣れた街並みから颯爽と現れるあなたの友達。SNSがサービス然とする資源的な存在として電波下どこかのピン上に位置づけられる人々がメタ東京をせっせと作り上げる。

 

脳内でアクセスしやすい慣れ親しんだ場所や光景がゆえに、その情報と過去の記憶をリソースに想像を行う。東京では無い場所にいながらその空気をトレースする。

 

そちらに住んでいた時は面白いと思った光景は肉眼に映すようにしてきたし、そこに居なかった自分に対して若干の悔しさを覚えたりしていた。一方で、こちらに住んでみると物理的に行けない場所で起きている現象に対して、抱く感情が変化していることに気づいた。否応無しに現象の”中”にずっといたということを自覚したし、だからといって今僕が外にいると言いたいわけでも事実そうでもない気がするし、ただとにかく自分が囚われたかった感覚に気づくことが出来たのかも。

   

居心地のいい空間にいることを自動化していたというか、渋谷に住んでいたのはある種自動化させるためだったし。でも今は狭いマップに限定されずに共にいたい感覚を側に置く練習になっている気がする。とにかく移住というある種不器用な形で東京で歩いた道のりを自然と整理し始めているような感覚。

 

何処に居たっておそらくその場所で恣意的に活動するし、今ここにいることへの感覚(ここ=任意の場所)は強く持っていたいからこそ、東京であれなんであれ何処に居るかに対して優劣は付けたくないね。ただ、場所を変化させることでの違いや良さをX軸的に色々語ることは出来るんだろうなと改めて。場所性の否定と肯定の繰り返し。こっちの方が楽しい!とかの比較論は無責任だなっていう話。

(大分・別府での写真)

そういえばこの間、大分と熊本でのツアーの後、福岡に延泊してその足で広島へ行った。広島は2年間ほど15年前に住んでいた場所がある。15年ぶりに住んでいた場所を散策してみると、あまり街並みも変わってなくて蘇る記憶とあやふやな記憶があること、大きいと思っていたフェンスが意外と小さかったことや、自転車で遠出したと思っていた記憶は今では徒歩ですぐだったという身体的な成長を教えてもらうなど、総じて不思議な感覚だった。

 

そして、一番思い出深い場所に到達すると涙腺が緩みだした。それは決して過去を都合良く懐かしむような後退的感覚ではなくて、この場所にて15年前自分が生活をしていたという事実を強烈に認識したからだった気がする。つまりその感動は自分という個体における環世界を認識したことで生まれたもので、場所を通して内なる自分を見つけることが出来るという今までにない方法であったことへの感慨深さだった。

自分の中でこの1年、ノスタルジーというある種劇薬的な感覚とどう接するかが一個の命題となっていた。過去の甘い時間は現実を蝕んでしまいがちだし、即効性の高い”幸福感”を再生することで何かを無視することへの危険性を考えてきた。だからこそ過去の淡いパーツが現在と結びつけられることである種の推力となることはノスタルジーへの接し方を考えたときに重要な点だったし、それを広島という地で身を以て体感できたことはとても良かった。

 

九州ツアーや広島で割と自然にも触れ、なんだかんだ週半ばにケンちゃんと京都観光してたのもあった一方で、先週末はずっと大阪にいてずっと人工物と人々に囲まれていた。喧騒のある空間もそれはそれで肉体的でよくて、いまだに居心地はいい。Le Makeup&Doveのライブもやっと見れてとても大切な時間だった。釈迦坊主君と話できたり、久々のTohjiのライブもいろいろなことを思い出した。

今週末は京都West Harlemの周年。祝福ムードでもある一方、次なる節目への一歩目。参加させていただきます。

 

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DJ Lostboi & Torus – The Flash

naminohanaでレコード購入。DJ LostboiはMalibuの別名義でもあります。ほんと素晴らしい。

 

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