「VISIONAIREが雑誌のオート・クチュール的な要素があるコレクターズ・アイテムであるならば、その真逆のジーンズ・ラインとしての、言うならばディスポーザブル(使い捨て=収集目的ではない)・マガジンを出したいと思っているんだよね」
こうスティーヴンからV MAGAZINE の構想を打ち明けられたのは、今からちょうど20年前、Watts St. にあった小さな3階建ての彼らの住居兼オフィスから、Mercer St.のギャラリーも併設した大きなオフィスに移転する時(現在はRivington St.)。
僕も当時はまだVISIONAIREの輸入総代理として販売を手掛けていたので、もちろんその流れで日本にも…なんて話していたのが懐かしくてしかたありません。
ただ、創刊時の彼のコンセプトを充分理解していたので、初めは四つ折りで綴じていないポスタータイプだったのですが、二つ折りの閉じる形になり、そして徐々に広告量が増え予算がアップし、内容が良くなっていくにつれてページ数も増え=それ自体の重量もアップ、つまりは輸送コストも大幅アップしてしまい、これ以上はもはや「ディスポーザブル」の域を超えてしまうと判断した僕は、スティーヴンと話し合い、いわゆる洋販さんとかの大手取次会社に任せる事に。確か10号くらいまではやったんじゃないかな。
そんなV MAGAZINEも昨年の9月号(September Issue)で20周年を迎え、その記念すべき表紙が、前回までのポストにあったイネスたちが手掛けたもの。
上の写真のように記念号と創刊号を見比べてみると、パッケージングにも時代を感じます。ちなみに下のインスタは今回の記念号に際し、スティーヴンの手書きのサインが入った特別仕様のもの。何かこう初期のVISIONAIRE的な要素を感じて、受け取った時にワクワクしたものです。だって何を隠そう、彼の手書きの文字が一番好きで、未だに昔のFaxとかを捨てられずに取ってあるのですから(笑)。
ところで、今回の表紙を撮影するにあたって、実はとても不思議な出来事が。
カール(ラガーフェルド)が亡くなる数日前、パリへと渡航するためにJFK空港に向かう途中の車の中で、偶然ラジオから流れてきたのがビリーの”When the party’s over”。彼はこの曲を耳にして、涙を流したそうです。そして、ふと彼女がブックングの候補に挙がっていたのを思い出し、慌ててオフィスに電話をして、確定を急がせたと。
今回の撮影では「スティーヴンがスタジオにいた」と書いたのですが、実は彼がいたのは本当に冒頭の部分だけで、挨拶が終わると早々にカールのお別れ会に向かうために、スタジオから直接パリへと向かったのですが、本人もとても偶然とは思えないって(カールとビリーの結びつきが)驚いてましたね。
でも、意外と僕たちの仕事とか絆って、そう言う不思議なもので成り立っているなぁって思う時が、個人的には結構ある気がします。
いずれにしても、ひとつの雑誌の始まりから携わり、またこう言う形で20周年の節目に関われる事は、感慨深いものであり、決して偶然ではない事は確かなのかなと。
スティーヴン、そして、またそのきっかけを作ってくれた、山室さんには本当に感謝。生きてたらなんて言ったかね、オジさん…って自分がもうすでにオジさんって言う(笑)。
ちなみに、V MAGAZINEのVは、VISIONAIREのV。もう知らない人も多いと思いますが…
気になる方はこちらからお求め頂けます(笑)。