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BLOG - 小沢宏(スタイリスト)

わたしも履歴書⑤ 憎みきれないろくでなし[ 前編 ]

TOOLS BARのスタッフの中でいつの間にかやけに仲良くなってたヤツがいました。名前は「オサム」。僕と同い年で190㎝近くてやたらもみあげが目立つ男。盛岡生まれで一見東北人らしい朴訥とした感じなんだけど、気づくと人の懐に入り込んでいる正に「人たらし」でした。ウ〜ン、もちろん「オンナったらし」でもあったわけですけど・・・。その憎めないキャラクターとルックスは西麻布界隈で知らないヤツはいないってほどのローカル有名人で、いっしょに夜遊びしているとあらゆるナイトピープルから声をかけられまくってました。僕は隣でウオッカトニック飲んでる、みたいな。まるでマンガの凸凹コンビのよう、デカくてやせ細ったオサムと肥満児未満の僕。見てくれも性格も全く異なる二人組で夜な夜な街を徘徊していました。

まぁ結局『ろくでなし』でもあったのでいつの間にかTOOLS BARを辞め(もしかしたらクビだったのかもしれない)定職につくでもなくバイトしたり、あとはヤツ特有の所業でお金を得ていたのでしょう。あんまり深く追求するとややこしくなりそうだから知らんぷりしてたけど。でもバイトも今思い出してみるといろんなことしてたなぁ。渋谷のサンタモニカでいまのジャンティークのオーナーである内田くんといっしょに働いてたこともあるし、CAMPS(80年代後半に渋谷にあったセレクト&オリジナルショップ)にいたこともあったんじゃなかったっけ。あと、当然いろんなクラブでもバイトしてたと思う。あまりにいい加減で神出鬼没なので僕の記憶もあやふやではあるけれども・・・。

とにかくこの凸凹コンビはそんなこんなで夜、というか朝日が昇るまで遊びまくっていました。懐かしの80年代後半、西麻布はTOOLS BARを中心に『328/サンニッパ』『Pピカソ』(のちにイエローに)あと名前忘れちゃったけど今の六本木ヒルズ手前のマクドナルド辺りの雑居ビルの中にあったゲイクラブ(本気でラバースーツ着てヴォーギングしてる客とかいた)、高樹町に向かうと『クラブジャマイカ』、そこからいまのコカコーラ本社の手前にあった『タクシーレーン』へ。ここは通り沿いにドアだけがあって開けると地下に降りる階段があり、その先にクラブというかなんとも洒落た空間が広がっている、という。つまり普通はビルがあるから地下があるんだけど、ビルがないのに地下空間だけが存在するという摩訶不思議なスペース。その後『バブリン ダブ』ってクラブになってそこも流行ってたなぁ。

上の写真は1988/1/22。下は1/23。深夜まで遊んでいた証ですね。

アッ、西麻布で忘れちゃいけないのが『レッドシューズ』。僕らには大人過ぎる空間だったけど「辛い焼きそば」が美味しくてわずかなお金で食べさせてもらってた。その系列の『インクスティック』も大人気で六本木、渋谷、芝浦とハコもどんどんデカくなっていった。ご飯っていえば思い出すのが『クラブジャマイカ』のカレー。僕らが遊び疲れてもちろん持ち金もない早朝、もう閉店していた『クラブジャマイカ』に顔を出してスタッフの賄い用のカリビアンカレーを食べさせてもらったりしてた。ここはレゲエクラブだったのでサウンドシステムがとにかく凄くて。スピーカーを背負って踊っていると音圧に押し出されそうになるくらいの音だった。気持ちよかったなぁ・・・。

スミマセン、タイムスリップしてました(反省)。オサムの思い出話を書くつもりが当時のナイトシーンの回顧話でいっぱいになっちゃいました。っていうことでヤツとの話は次回にさせていただきます。

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