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BLOG - 猿渡大輔(グラフィックデザイナー)

我が家の新入りのこと

 

小さい頃から祖父母の家には猫がいて(ほんの数年前までいてくれて、長生きの大大大往生)、10代の頃からは実家で猫、犬と暮らしていたので(両方とも健在)、動物との暮らしはこれまでの人生においてはとても当たり前なものでした。上記の面々はみんな、偶然に近いきっかけでぬるっと家族の仲間入りをしてくれたこともあり、ペットショップで買う、というような経験は家族の誰もしたことがありませんでした。

 

少々大人になり20歳前後の頃、犬や猫の殺処分ゼロを目指す団体に何か手伝いをとご連絡をして、デザイン関係でサポートをさせていただくことになりました。
生体販売の規制や法改正を目指す、どちらかというと蛇口の方を締めにいくというか問題の上流に向けてアクションをする団体でした。生体販売が規制されれば無理な繁殖や行き場のない動物は減り、購入の代わりに保護動物の受け入れをすれば殺処分は減り、というロジックです。欧米などでは現に生体販売が禁止になり、新たに動物を迎えるならシェルターから、と義務付けているところもあります。
結果的には社会人として猛烈なスタートダッシュで働きはじめる時期と重なってしまい、ほとんど何もできずにおりてしまった(ほんとうに自分の不徳のいたすところ)のですが、実務に入る前にいろいろとレクチャーをしていただけたことで知識を得ることはできました。

 

そんな経験もあり、次に動物を迎えることがあるならば不遇の人生(犬生?猫生?)から抜け出しかけている保護犬、保護猫をと思ってはいましたが、ひとくちに保護犬猫といってもそのバックボーンや事情はさまざまです。飼育放棄や飼育崩壊からのレスキュー、もと野良、繁殖現場からのレスキュー、繁殖引退、(この言い方はしたくないけど)ペットショップ等の売れ残り、など。事情が違えば性格や抱えている問題も違います。

 

例えば犬を飼いたい、と考えた人が皆そうした犬たちとマッチングして一緒に暮らすようになれば良いのですが、実際はペットショップで買う人も多いと思います。
ペットショップが大量に在庫(あえてそう言うけど)を積み、親から引き離すべきではない時期から出荷された超子犬を陳列し、他の消費財と同じように店頭のスタッフがノルマを負いながら、ときに衝動買いを誘発させながら売り利益をあげ、一方で当然在庫は余剰が出たり、衝動買いしたものの覚悟が足りなかった人がその犬を捨てたり。居場所のない犬を迎える代わりにペットショップが繁盛して、居場所のない犬がまた増える、ペットショップでの生体販売がなくなることで問題の大半は改善に向かう、とよく言われるのはそういう点からです。

 

同じように、保護施設や保護団体もさまざまです。もちろん素晴らしい理念と活動がセットになっている団体さんもある一方で、法改正の副作用などもあり、ペットショップ業界やブリーダー業界と結びついてその構造の一角を担ってしまっている、福祉よりも営利に寄った「保護犬ビジネス」といわれるような業者もあります。この見極めもすこし厄介。
もちろん、どんな団体がどんな手段で「保護犬」と冠をつけた犬だとしても居場所のない命ひとつにかわりはなくて、その動物1匹と迎える家族にとっての意味合いは同じです。
ただ、既存業界と結びついた営利目的の団体(下請け、とか言われる)から受け入れると、問題とされている商構造そのものを止める一助にはなりにくい、という点が大きな違いだと思います。その動物が無事引き取られていって新たに空く1匹分のケージの意味は確かに違うかもしれません。

 

一方で。
せっかくペットショップで買うのではなく別の選択肢を選ぼう、と決めた飼い主たちに「その団体は保護犬猫と言いつつ怪しいからそんなところから引き受けるなんてわかってない、意味がない、偽善」とわざわざ言う人もいるけれど、迎える個人レベルでは手の届く範囲にいる居場所のない動物の命と共に生きたい、それが第一なわけです。
本当に世のため動物のためと思うなら優良な純粋非営利の悪しき構造に楔を打つ団体を調べて見極めて引き取りなさいよ、というのは本当にごもっともなんですが、どんな団体にも行き場のない動物がいるのは事実である以上、そこからも引き取らないといけないし、それを間違い、思慮の浅さ、と言い切ることも難しいんじゃないかと思っています。
それを責めることは、せっかく少しメンタルを切り替えてペットショップで買う以外の選択肢をって思ってくれた人を冷たく突き放して萎縮させることになってしまうかもしれないし、蛇口を締めなきゃいけないのはそうだけど、もっとどばどば溢れてて大変なところもどこかにあるかもだけど、締まるその瞬間までみんなの目の前で溢れ続けてるので、「それ助けになってないから」って言われたって清濁いずれの水も結局汲まなきゃいけないです。

 

そう考えると、その団体が果たして純粋善だったか悪だったかグレーだったか、そこにいる動物は本当に「保護犬猫」の冠を背負うに値する来歴だったのか、みたいなことは迎えた人が負うべき十字架にしないでほしいです。既に迎えた善意の飼い主さんが、仮にその団体が実は黒かグレーだったとしても、外からあの団体はダメ、その引き取りは罪深いぞ、などと言われまくったら悲しすぎます。本人たちにとってはもう、ただ最期まで一緒に過ごすだけなのに。
それを責めるくらいなら大量のペットショップでの生体販売がなくなって悪しき商構造が成立しなくなるようにとか蛇口を締める方に声を集中して向けてくれたらありがたいのになと思います。
これは団体さんを見極めるということについて散々悩んだ末の自分の考えというか、折り合いの結果ですが。

 

もちろんさすがに最低限見極めなきゃいけないラインやポイントはあって、そこを踏まえないと良くないペットショップをより推進することに繋がったりするのでその辺りは検討段階で調べる責任かもしれません。ただ、せっかく興味関心を持った人が萎えて踵を返すような雰囲気にはならないでいってほしいです。いつだって新規を潰すのは古参なので、詳しい人ほど苦労して辛い思いをして悪を憎む気持ちが強いと思うけど、だからこそ懐広く柔軟にいてほしい。

 

だいぶ脱線しましたが、いまのペット界隈、保護犬猫界隈は複雑でいろんな視野の広さで語られすぎというか、「保護犬」「保護団体」という言葉が包括する範囲が広すぎて両端同士ではだいぶ違いがあったり、そこに軋轢があったり、そうした現状を学べば学ぶほど、どこからどの犬猫を受け入れればいいのかだいぶ迷い、二の足を踏んでいました。

 

が、ついにというかやっとというか、犬を迎えました。
きっかけは妻。妻もまたさまざまな施設や団体の情報を常々チェックしていたようでした。
自分はきっとこういう犬を受け入れるんだろうな、とぼんやりイメージしていた感じとは実は姿も来歴も違くて、正直、考えればキリがないけれど、この犬よりも急を要している子らがいるのではないか、ここにいる子らよりも見なければいけない動物たちがいるのではないか、という思いがゼロだったわけではありません。
でも、少なくともこの終始震えて怯えている犬を元に戻してちゃんと幸せになってもらうということにはたぶん罪も間違いもないし、とりあえず目の前で溢れる水を掬える範囲で汲み上げるのみだな、というささやか決意です。

 

そこからはものすごい勢いの準備期間でした。
基本的に、大概の保護団体から犬猫を受け入れる場合は真っ当な審査に通る必要があります。ペットショップのように甘いことは言われません(むしろ厳しいことを言われます)。それは当然のことで、こちらは客ではないし、彼らが苦労して死地から救ってきた動物を生半可な人間に預けるわけにはいかないわけです。こちらも真剣に向き合いながらステップを踏みます。
それらの段取りののち、最終的には無事に里親として認めていただいて、数週間経ったいま自分の隣で彼がぐっすり寝ています。

 

 

 

 

↑初めて対面した時の写真。なんか写真はご機嫌そうですが実際は常に尻尾を巻いて下半身を震わせていて、少し触れただけでも、遠くで車の音がしただけでも驚いて逃げてしまう状態でした。

 

 

苔の生えた容器にホースで飲み水が足されるような劣悪な繁殖現場からレスキューされたという彼、いわゆる繁殖引退犬です(レスキューされたなら”引退”犬ではないのか?)。広義では保護犬に入るのかもしれませんが、わかりません。
これまでどれだけの子犬の父になってきたのか想像もつかないです。もしかしたらどこかのペットショップで買われた彼の子どもたちの飼い主さんは目を輝かせて「この子のお父さん、お母さんに会ってみたい」などと思っているかもしれません。
環境が変わって、人との関わりも、なでられることも、ごほうびも、散歩も、何もかもが初めてだったそう。痩せてるし治療も必要だしまだまだ無表情、無感情な感も強いです。
自分もこれまでの経験通りにはいかないので、シーザー・ミランの本を一から読むなどして試行錯誤中です。まだ世界中怖いものだらけといった感じですが、つらい前半生を乗り越えた彼の第二の犬生がよりよくなるように、頑張りたいと思います。

 

正直、こうした来歴関係なく、ただただシンプルにうちの子かわいい!という心境で、家族が増えましたハッピーという投稿で終われちゃうんですが、せっかくこういう欄なので小難しいテンションで流れや学んだことや考えをいろいろ書かせていただきました。
自分は結局活動家でもないし手の届く範囲の幸せを考えることしかできないけれど、1頭でも多くの犬・猫が良い余生を送れますようにと思います。蛇口も締まってほしいと思っています。
(まわりのペットショップ等で購入した人やされた犬猫を憎みたい気持ちはまじでないです。自分のまわりにもいろんなルートで迎え入れられた犬猫がいるし、彼らの幸せは願われるべきだし、その家族たちのことも好きです。もしこれから迎える予定の方がいたら、いろいろな選択肢があるので考えてみてほしいと思います)

 

 

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