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BLOG - テガキ($HOW5 (#テガキ))

※連載 1回目<真っ暗>:スポーツシューズのデザインをするまでの道のり・・・

こんにちは。

いつも読んでいただいてありがとうございます。

突然ですが、

今週からは、自分が東京に来るまでの

今とは全く違う、正反対の 関西 下町 靴工場のハードな

環境にいた時の話も交えて、

連載としてスタートしたいと思います。

たまに友人に話すと、

なかなか変わった経験だと言われるので・・・

個人的な主観の昔話で恐縮なのですが・・・

少しづつ話していきたいと思います。

どうぞ よろしくお願いします。

$HOW5

 

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<真っ暗>

 

深い闇。

目の前が真っ暗だ。

 

マンホールに自分の血がポタポタと落ちている。

シビれて感覚がない。

全身が震えている。

まだ死んではいない。

刺されてもいない。

終電はなくなっているが、

なんとか立って歩ける。

 

僕は

今起こったことを認識するのがやっとだった。

まだ東京に来る もっと前の学生時代。

強盗に遭った。

 

僕は就職活動をしながら、

大阪で一番の DISCO DJになる夢を持った

プロダクトデザイン学科

シューズデザイナー志望の大学生だった。

 

 

超就職氷河期 2001年。

MIZUN◎社のスポーツシューズデザイナーの最終面接まで選考に残った。

最初は、まず説明会が200~300人規模。

この会場で手をあげてマイクを借りて質問するなどして

ガンガン アピールする所からはじまる。

 

一次選考は毎週100人近く集まる。

そこから学生5~6人づつの集団面接。

MIZUN◎社の場合は部活や全国大会でどこまで行ったという学生の話ばかり。

明らかに女性の面接官がウンザリしている。

自分はDJをやっていて現場主義というのが御社の理念と一致するという話を

ゆっくりしてみたら、何故かすごく耳を傾けて聴いてくれた。

デザイナー志望なので作品集を持参してきたと言うと預かってくれた。

超氷河期はこれくらい攻めないと全く覚えてもらえない。

 

二次選考

やっと学生1人づつの面接。

おそらく部長、課長クラスの3名が座っている。

初対面だけど きっと絶対 良い人に違いない!

という自己暗示をかけて楽しそうに話した。

話の前に悪いフィーリングが伝わってしまうのは

絶対に避けなければいけない。

 

このとき、 質問で聞かれるのは

やけに教科書通りの 基本的な 志望動機と自己PRばかり。

にこやかに優しく展開しすぎている。

逆に何か不気味だった・・・。

あっという間に 終盤・・・なぜだ・・・。

 

最後に・・・、

好きな芸能人は誰ですか?

と聞かれて、とっさに本当に好きだった

一色紗英さんです。と言ってしまった。 

 

そこで面接官がニヤっとして、

それはどうしてですか?  と聞いてきた。

 

なるほど・・・ここが本当の勝負か。

僕は一度深く頭を下げて瞬時に考えてから

ゆっくり顔を上げて、

ポカリスウェットのCMに出られていたときの

「スポーティーで爽やかな印象がとても素晴らしいと思います。

学生生活やスポーツをとても美しく表現されていると感じます。」

と答えた。

 

面接官は笑ってくれていた。今度はすごく良い笑顔だった。

そう相手はスポーツメーカーだから。

(フリースタイルダンジョンかよ。)

 

 

三次選考

やっと学科試験と デザイン部の突っ込んだ面接となる。

ここまで2ヶ月くらいの期間。

朝からずっと みっちり学科試験でふらふら。

その後の夕方の デザイン部の面接で、デザイン部長さんが出てきた。

いきなり、

「ウチはNik◎じゃない。総合スポーツのみのブランドだから

HIPHOPとかそんなんじゃないよ!」と

出だしから、

体育会系のデザイン部長に攻撃的に突っぱねられた。

僕はマラソンでしか使わないウェーブシリーズの一部を

AF1のような次元にまで持っていきたいし、

少なからず 業界全体が そういう時代になると感じていた。

が、

その当時の自分には、それを人に理解させる力を1ミリも持っていなかった。

さらに 大人に複雑な説明するような体力が もう全く残っていなかった。

 

所詮はまだオタクの学生。

大人の体育会ノリに意気消沈してしまって

え、そうなんだ・・・じゃあ何故ここまで選考に残ったんだ???

という思考になってしまった。

なんとか最終選考まで残ったが、あと一人の所で選ばれなかった。

悔しさと、これで何を反省して良いのか

ずっとわからなかった。

もちろん 絵も下手だし、英語もできないけど・・・

根本的な原因はそこではなく、

どうしてもコレがしたいという情熱が、まだ足りていないと感じた。

(この後3年間の大きな反省となる。)

 

 

 

その数日後、

気分転換のつもりで平日の大阪、心斎橋のクラブ 

DONFLEXでDJの先輩や友人のpartyに顔出しに行った。

久々に大きな音で音楽を聴くとそれだけで楽しかった。

あっという間に 終電間際になって 帰宅しようと

暗い夜道を電話しながら歩いていたトコロだった。

 

ドスッ!

 

突然4~5人に囲まれて

ベルトのバックルのようなもので顔面を何度も殴られた。

 

ドスッ!

 

人は突然すぎると何もできない。

 

何するんやぁー

 

言ってる間にさらに5~6発、

笑いながら5~6発、

確かに おもちゃが踊ってるかのように

自分が舞うようにひたすら殴られる。

 

いつまで続くのか、

ついにココで自分は死ぬのか一瞬よぎると

痛すぎてだんだんアタマは現実から

逃避しはじめる。

 

ワケがわからなくなりながら

言われるがまま、

財布とカバンを差し出して、

ろくな戦利品がなかったからか・・・

空気が凍りついている。

 

2万円あるかないかの所持金を持ち去りながら、

カバンを放り投げられて

期待する金額が入っていない文句を言いながら、

また5~6発殴りながら去っていった。

気づけばマンホールにひざまづいていた。

 

もう殴られない事に安心した瞬間に

現実に戻って絶望が襲ってくる。痛・・・

ありえない痛さと震えが止まらない。

 

ドン底。

真っ暗なマンホールに自分の血が

ポタポタ滴っている。

闇でしかない。真っ暗だった。

その闇の中で

這いつくばって 暴行で 飛んで行った持ち物を探し始める。

就職活動も決まらない。DJも駆け出しのまま。

自分は絶対に両方ともが必要だったが

全てを運命に全否定されたような気持ちに

徹底的に落ち込んだ。

 

それでも何とか助からないと。

その一心でクラブまでなんとか戻って、

助けてくれと大騒ぎになって

みんなが集まってきた。

店の責任者は ”誰やコラッ”と 仕返しに出て行って、

全然 救急車や警察をすぐに呼んでくれない・・・。

何人か友達が心配して

冷やしたり止血したり寄り添ってくていた。

 

結局、一時間弱くらい? が経過し・・・・

気づけば救急搬送。病院の中だった。

看護婦さんに意識状態を確認、質問される。

 

気づいて起きたとき自分はしっかりしてると信じていた。

看護婦さんの名前を 読み上げて、

しっかり読めるので自分は大丈夫ですと言った。

が、名前は読み違えていたらしい・・・。

精密検査と入院となった。

全治3ヶ月。

 

 

 

 

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