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「ああ、この人のこと苦手かもしれない」と初めて会った人に感じてしまうことがあるように、かねてから気になっていた本を図書館で予約してようやく借りてきて読み進めていったものの、「うーん、違ったかも」と思うことがある。

きっと、最初の期待値が高すぎるのだ。

何の話だ、本の話である。

密かに(勝手に)信頼を寄せている書店員の方が『マミトの天使』(市原佐都子・著、早川書房)を推していたので、図書館で借りてきた。

余談で恐縮だが、引っ越す際の条件として第一に図書館が近い物件であることを挙げるくらい私は図書館のヘビーユーザーである。図書館は、本屋と同様とても楽しい場所だ。なんだってそうだけど図書館の数だけ色があるし、誰でも無料で入り浸れる。家に帰りたくなくなったら、図書館に行けばいい。どんな状況のどんな人でも受け入れてくれる包容力が、図書館にはある。冷たい水だって飲めるから、喉が渇いたときにも駆け込めばいい。潤いとあたたかさ。寒い時期に大切にしたい二大要素があるから、冬のあなたが特に好きよ。

脱線しすぎの話を戻そう。『マミトの天使』は表題作「マミトの天使」の他、2つの短編が収まっている。私が「苦手かも」と思ってしまった(あくまでも個人的な意見です)のはひとつ目の短編だった。途中で読むのをやめようとも思ったが、短編だからと表題作に歩みを進めてみた。3ページ目で気づいたら寝落ちしていた。

翌日。続きから読んでみることにしたのだが、急に面白くなりページをめくる手が止まらなくなってしまった。泥臭くて醜い人間という動物の描写が、なぜだろう、こんなに濁っているのにピュアなのだ。支離滅裂な言葉しか出てこないが、真っ黒でどろどろなものが確かに目に映っているのに、一瞬にしてそれを捉える脳が下す判断は軽やかできらきらしているという不思議な状況。リズミカルに進む言葉の連なりは流れるようにすーっと私の中に入ってきて、息を吐くように出ていった。毒を排出すると爽快な景色が広がるとは、このことか。これぞ文学が持つ魔法。

たまに、突然発狂したくなることがある。なぜだかそういうときに限って、生きているという実感が湧く。その昔深夜まで仕事をしていたときに、自転車で2時や3時に爆走しながら帰宅することも多かったから、誰もいないだだっ広い暗い場所で叫んだり大泣きしたりしていた。ただのヤバい人である。「ああ、私は今日も生きているんだ」って当たり前のことを、その瞬間に強く感じた。というかわざわざ確認するためにそうしていたのかもしれない。この小説は、そんなことと深く通じていると思う。誰にでもあるかもしれない闇に、そっと耳を傾けて。きれいごとばかり繕わないで素直になってごらん、って言ってる。

見たくないものについ蓋をしてしまったり、認めたくない事実から目を逸らしてしまったり、なかったことにしたいと思ったり。でも、逃げても逃げても追いかけてくることがある。ちゃんと向き合わないと、とこういう本を読むと改めて思う。逃げてばかりの人生は、そろそろ終わりにするべきでしょうか。

自分が自分と真剣に向き合えるから、読書という行為はやめられなくて、とまらないのである。(かっぱえびせんのように)

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