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BLOG - 蔡 俊行(フイナム発行人)

なぜか三国志

三国志、後の蜀の皇帝劉備玄徳が若い頃、母に飲ましたくて出稼ぎの稼ぎをすべて使って手に入れたお茶というものを、いまテレワークの自宅のデスクでゆうゆうと飲んでいる。いま2杯目だ。

皇帝となったその当時、三国にはそれぞれ皇帝がいた。彼らがどんなものを食べて飲んでいてどんな暮らしをしていたかは想像するしかないが、そんな皇帝でさえ持っていなかったものを我々は持っている。100キロメートル以上のスピードで走るクルマ、薄い5センチ以下のテレビ、ひねれば出る水道、衛生的なトイレ。そういえば古くなった胡椒を昨日捨てたし、結婚式の引き出物でもらったポプリなどは匂いが気に食わんと誰かにあげた。

あの時代も人類はたびたび疫病に苦しまされた。研究者とか疾病センターなどがあるわけではなく、人々は巫女や預言者のような者の祈りにかけるしかなかった。

追い討ちをかけるように、イナゴの襲来や不作などで飢饉にも襲われた。さらに隣国は敵だらけ。つねに戦争の恐怖は隣り合わせだった。歴史物は本でも映画でもマンガでもなんでも好きであるが、歴史=戦争なのである。人類はずっと戦争してる。

幸いなことにいま戦争はほとんなない。中東や中央アジアなどの一部はまだ平和とはいうには遠いかもしれない。しかしそれ以外の国、地域に住む人にとってはいまは昔より遥かにマシだ。

極端かもしれないけど、ぼくはよくこんな考え方をする。

新型肺炎でこの先、会社が傾いたり、お店が継続できなかったり、仕事を失ったり、家庭が壊れたりするかもしれない。でもね、昔に比べるとまだマシじゃないかって。

病気は命を危険にさらすかもしれない。しかし経済は命を取らない。それは気の持ちようだ。

借金があっても破産宣告すればいい。食べるに困ったら生活保護でもいい。ありがたいことに昔と違って救済措置の選択肢はいろいろある。人の幸せは相対的な価値。病気で寝たきりの億万長者よりも、健康で笑顔のある貧乏人の方がたぶん幸福だ。

みんな裸で生まれてきたんだから、持ってるもんすべて手放してもふり出しに戻っただけ。

ということを頭の片隅において、すこし楽観的に過ごそう。

金持ちに10万円配るのは不公平だなんてストレス貯める前にさ。

 

 

 

 

 

 

 

 

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