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KOUMI100参戦記 〜あるいは5についての考察〜 前編

 『物語の舞台に装填された拳銃が出てきたならば、それは発射されなければならない』

アントン・チェーホフ

部員の鈴木すずです。

そしてところで、皆さんは「5」という数字が好きだろうか?おそらくこれを読んでいる大半の人は、

「んなもん好きでも嫌いでもないYO! このチョビ髭がっ」

と答えるだろう。チョビ髭ではないが。

かく言う僕もそうだった。5という数字は4よりも1つ多く、また6よりも1つ少ない。その普遍的事実に対して、特別な感情を抱くことは無かった。トリアノン条約や、1987年7月14日に対してそうであるのと同じように。

にも関わらず、5という数字は様々な場面で「収まりの良い数字」として利用されてきたようだ。戦隊物は昔から大体5人と相場が決まっているし、格闘技の団体戦は往々にして5対5で行われる。そして今年行われた唯一の公式(という言葉が適切かどうかは知らんが)100マイルレース、OSJ KOUMI100(以下KOUMI)は35kmのコースを5周する。そうそう、これを走ってきたのでこの場を借りてその体験を記したく筆を取ったのである。それは僕が。

へ? コウミヒャク? 何それ? 美味しいの?って人の為に以下にその大会概要を。

大会概要

国内では数少ないペーサー制度が導入されているレースの一つである

コース

ロード部分の大半はピストンなので、他のランナーとすれ違う

トレランレースには、ウルトラディスタンスの基準として100マイル(160km)と言うカテゴリーがあり、要は160km、山の中を走り続ける。夜を徹して、阿呆みたいな顔をしながら。しかしながら、その全てが山道と言う訳ではなく、KOUMIはロード35%・林道35%・山道30%と、サーフェイスがバリエーションに富んでいて飽きない。

と言いたいところであるが、それを5周もするので余裕で飽きる。はっきり言って。

と言うか、どんな楽しい事でも5回も連続でやれば人は飽きるのではないだろうか?ディスニーシーの大人気アトラクション「ソアリン」でも、2回目までは「ステキー。感動ぉー」と思えるが、3回目は「他のも乗りたいナー」となり、4回目ともなると「もうええわ」とならないか?

もっと言おうか。数年前、補給は全て鰻と言うレギュレーションを自らに設けて浜松から走って東京まで帰った事があった。2食目までは「うふふふ。ウナギ。英語で言うとeel。筆記体にするとウナギみたいやね。名は体を表すとは良く言ったものだ。美味い」と思えても、4食目ともなると「あっさりとした鴨蕎麦とかが食べたいナ」となってくる。

5という数字の奥深さが伝わっただろうか?

しかも有り体に言ってしまえば、KOUMIのコースはそもそもが心踊るコースではない。つまりは、眺望がほぼゼロなのである。コースの最高地点であるニュウ(山の名前。変なの)の折り返しまで登っても、心を洗ってくれるような美しい景色を見る事はない。したがって、さっさと折り返してまたスタート地点に戻っていくのである。1周の累積標高(登山中に登ったすべての距離を足し合わせた数字)は1,500m。これを5回、36時間以内に繰り返す(唯一のカットオフタイムは4周目を28時間以内)事が出来れば完走と言う有り難い称号が静かに与えられる。言ってしまえば、毎年同日に行われるかの有名なレース「日本山岳耐久レース 長谷川恒男カップ(通称ハセツネ)」の裏なのである。

コース最高地点であるニュウの折り返し。樹林帯で眺望は皆無

では何故、そもそもそのようなレースを自分が走ろうと思ったのか。

割と語り甲斐のある紆余曲折があったのだが、話がややこしくなるので今は言わない。ではいつ言うのだ?まあ、とりあえず色々あって、自分が主人公である自分の人生の舞台に、このレースが出てきてしまった。である以上、それは僕にとってかけがえの無い僕によって完走されなければならない。と言う訳で2019年大会にエントリーしたのだが台風で中止(現地まで行った)。一年経って2020年大会、やっと100マイルを走れるぜと鼻息フンガフンガ荒くして挑んだものの、雨で泥んこのサーフェイスにボロボロに打ちのめされて4周目の復路(131km地点)でDNF。走り始めて12年、フィニッシュ出来なかったレースはあれが初めてで、精神的にも肉体的にも物凄いダメージがあった。ぼかぁ再び走り出す事が出来るのだろうかと思うくらいに。

2020年大会にて、DNFして拠点まで戻ってきた直後

一介の男子である自分がこのような事を言うのはどうかとも思うが、僕は負けず嫌いな性格ではない。今まで生きて来た中でたくさんの人に負けてきたが、正直さしてそれを気にする事はなかった。人はいつか必ず負ける。永遠に勝ち続ける事は出来ない。しょうがないじゃあないかと。

負ける事が嫌いで、他人を凌駕する事に邁進する人を「すごいなー」と思いはするのだけれども、かと言って自分もそうなりたいと思う事はあまり無かったような気がする。

ただし、自らが能動的に設定した基準をクリア出来ないのは我慢が出来ない。昨年のKOUMIで、自分の意思により前に進む事を諦めた時の自分を、僕はどうしても許せなかった。たとえ一年の月日が経っても、その傷が治癒する事は無かった。いつまでも治らないその瘡蓋を剥がすには、同じレースを完走するしかない(飽くまでも個人的な意見ではあるが)。

ではその為にどのような事をしてきたか。KOUMI完走を見据え、僕がやってきた事は下記の通りである。

①ほぼ毎週末山に行き、毎月最低でも300〜400km走る。月間走行距離は以下の通り。

4月:340km d+11,526m

5月:345km d+12,023m

6月:302km d+7,053m

7月:536km d+15,246m

8月:354km d+8,436m

9月:303km d+11,723m

②出来るだけ周回でロング走をする(具体的には箱根ガイリーン2周、KOUMI試走3周、北高尾〜陣馬〜南高尾3周、皇居5周、三軒茶屋5周等)。

③ロードとトレイルが混じったコースを走る。

④煙草を5本連続で吸う。

昨年同じくDNFし、リベンジに燃えるタッシーとの練習

①は普段とあまり変わらないが、いつもゆるランばかりしている僕にしてはロング走は積極的に実施出来たと思う。特にやって良かったと思うのは、②のKOUMI試走3周。これをレース同様に大エイド休憩10〜15分で走る事で、限られた時間の中で何をどのようにすれば良いかシミュレーション出来るようになったし、1周にかかる時間感覚及び疲労感覚の精度を上げる事が出来た。④に関してはそもそも身体に良くなさそうなのでお薦めしない。

細かな事を挙げればキリが無いが、この一年間でやってきた事はざっとこんな感じである。さて、どうなる事か。

後編に続く

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