先日、娘の小学校の卒業式があった。昨年の息子に続くコロナ影響下でのすこし寂しい式だった。
そこからしばらく時間を遡り、昨年の初秋あたりに娘たちは小学校で最後のイベントである沖縄へ学習旅行に出かける。これもコロナ禍で危ぶまれたものの、なんとか行くことはできた。奇跡ともいえる。
クラスメイトたちと最後のさぞ思い出に残る小旅行だっただろう。
娘には、なかでもとくべつ仲のいい男子生徒がひとりいて、まだ小学生とはいえ互いのはじめての淡い恋心のようなものか。
沖縄の帰りを迎えた親たちと、空港内のレストランで娘は彼と食事を楽しみ、またねと別れたが、しかしそれが最後となってしまう。
彼は翌日くらいから頭の痛みを訴え病院に行き、そのまま意識がもどらず数ヶ月後天国へ逝ってしまった。脳溢血のようなものだったらしい。
娘の苦しみ悲しみは親であるぼくにもはかり知ることはできない。それは彼の親御さんにもである。
その葬儀のあと、彼の母親から娘はそっとあるものを受け取る。それは彼の遺品の中から出てきた沖縄で買った土産のキーホルダー。家族の誰へでもなく、包みに入ったままの。
「きっと、さくらちゃんにだと思う」
自分の息子を亡くし打ちひしがれているものを、そんな娘にまで気にかける優しいひとだと思う。きっと彼もお母さんのような優しい人間だったのだろう。
そして卒業式。娘は彼にもらったキーホルダーを身につけ、一緒に卒業した。
きっと生涯忘れられない記憶だと思うが、忘れないことがいちばんの供養ではないかと思う。これから先、中学高校を卒業し成人しても、その節目に彼のお母さんに手紙でも送ってあげてほしい。きっと嬉しいのではないだろうか。