おかげさまでバタバタと忙しく更新忘れてました。コロナ自粛でほぼひと月半ほどステイホームでしたので、数日間はリハビリ状態。鈍った手先や身体を取り戻す感覚でした。
先日のブログの内容が思いのほか同業者の関心を集めたようで。ファッション系に属したブログですから、同業の方々は存在すら知らなかったと思います。
見ているのならばということで、その方々に向けて思いをまた少々書こうかと。(興味ない方は飛ばして下さい)
ぼくはじぶんを“庭師”と名乗っています。でもいまの時代の人々にはどんな仕事かわかりづらいかと。
提出書類等の職業欄なら“造園業”だから、造園屋さんでもいいし、植木屋さんと言うひともいる。ただ植木屋さんはファッション界での生産業であって、しかも庭造りのなかで植物植木はパーツ。やはり庭師もスタイリストに近いでしょう。
あらゆるものを使って構築する、という意味で。
あとは街中をヘルメットかぶって街路樹をバサバサ切ったり、植込みを機械でバリバリ刈ってる方々。あれも同じく造園業。
そういうおじさんに「庭師さん」と声をかけても「え?いやいや」と謙遜すると思う。
つまり庭師ってちょっと崇高な呼び名で、それのプライドがなければ自負できない。
街角にある千円カットの床屋さんと、青山にあるヘアサロン。髪の毛を切るという行為は一緒でも、当人たちの“志”はまったく違うところにある。
だからぼくは庭師を自負することに拘る。広告の空間ディレクションや、アーティストさんへの祝花や、青山、代官山のショップディスプレイや。そんなの庭師の仕事じゃない、と思われても「いいえ庭師です」と答える。
そう答えつづけたら、そのうちそういう職業として認識されるかもしれないし、そういう仕事として次世代の若い人が興味を持つかもしれない。
そういう変化や進化に希望をもっています。
巨大な街事業や公共事業やマンションの手入れやをやらざるを得ない、現代の造園業。時代の変化に抗えない、仕方ない部分もある。
でもそれに携わっていると根本的な大事なものが見えなくなってしまう。
それはひとからの「ありがとう」
ぼくは庭師だろうがスタイリストや美容師だろうが、ほとんどの仕事はサービス業だと思っている。
じぶんの「得意な何か」をだれかに提供して、感動やありがとうを貰う。だれからの「ありがとう」がないものに、ひとは情熱を持てない。たぶん。
ありがとう。
そのための仕事だし庭師。根本的なことなんですけど。
昨日も1ありがとう頂きました。
庭師だけどありがとうのためなら、もうなんでも笑
庭師のあとはニンジャになる予定。