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BLOG - シガアキオ(Gardener / 庭師)

kokorozashi

最近よく読んでいるウェブマガジンがあります。

日本文化の入り口マガジン・和楽。どの記事も大変興味深く読み応えがある。これは記事を書いているライターさんのライティング力というのもあるし、それ以上に対象に興味があるのがよくわかる。

同じくロケットニュースなどもライター陣の何かを面白おかしく伝えようとする熱意が伝わってきて好き。

そんなに興味ないんだろうな…というやっつけ記事は読み手にわかるし、もちろんつまらない。紙でもウェブでも。

何ごとも「興味」だと思いますね。

その和楽の記事で個人的に面白かったものをいくつか。

そろそろ花見シーズンですが、日本全国ほとんどのひとが桜として認識しているのがソメイヨシノ。これは江戸時代の染井町(東京豊島区)の庭師や植木職人によって栽培された園芸品種のクローンです。犬やネコと同じく品種改良モノだから寿命は短い。

では何故、日本古来の固有種である山桜(長寿)や多々あった里桜(数百種とも)でなく、日本中がソメイヨシノなのか。それは時の権力・幕府を倒した明治維新の政府によって刷新されてしまったんですね。憎き幕府、古い時代のものはと嫌ったわけです。

なんだか、事情がわかると桜を見る目も変わってきませんか?

 

この武将・荒木村重のストーリーもなかなか興味深い。しかもこの時代の信長→秀吉あたりに関わってくる人間はどれも面白く、じつは庭師的にも重要なポイントなのです。

以前このブログで僕は「かの庭師・千利休」と書きましたが、誰もが「千利休は茶人でしょう?」と思ったはずです。しかし禅・詫びさびという概念から、茶道・茶庭という現代まで通じる流行・スタイルを生み出したのが利休。

広大な城屋敷の中に、たった2畳しかない「茶室」を作り、そのこじんまりした建物の周りや往来するエントランスもまた、「茶庭」というミニマムでしっとりとした空間を造った。驚くことにそれが今の今まで和庭の基本的なデザインベースにある。

すごくないですか?

同じくそのブログで利休を「カリスマ・シティボーイ」とも呼びました。織田信長、その家臣だった豊臣秀吉と、ふたりの天下人に仕え、しかし最後は秀吉により切腹させられた利休。

何故に切腹だったのか歴史的にいまも謎です(諸説あり)

・秀吉と茶道に対する考え方で対立したという説

・秀吉はもともとわび茶が嫌いで、ある日彼の命令で黄金の茶室で「大名茶」とよばれる茶を点てたころから利休は密かに不満を募らせていた。さらにこの後、利休が信楽焼茶碗を作っていることを聞いて憤慨した秀吉はその茶碗を処分するよう利休に命じたが、利休がまったく聞く耳を持たなかったために秀吉の逆鱗に触れたという説

・権力者である秀吉と芸術家である利休の自負心の対決の結果という説

(Wikipediaより抜粋)

まあ、このあたり全てなんじゃないかと。つまり「うわコイツ、ダッセェ!くそダッセェ!」

と言う(思う)利休と、むかついた秀吉。そんなところでしょう。

山田芳裕氏の漫画「へうげもの」では同じく信長、秀吉に仕え、利休のような趣味人だった武将・古田織部を描いていますが、山田氏いわく「この作品を描くにあたって最初は千利休から調べ始めたが、利休の宗教的・求道的ストイックな厳しさは自分には描ききれないと感じ、物欲の強さやエンターテインメント性に親近感が沸き、調べていくうちに面白くなっていった古田織部を主人公に据えた」(Wikipediaより)と述べている。

物質でなく、心や道にあると説いた利休。茶道具や器もじつは質素なものだったとか。その思想もまたこの現代にも通じてますよね。

かっこいいです。

 

思わず感動。そのうち削除しますので。

 

 

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