最近またよく取材を受けます。何処でどう僕を知ったのか、たとえば知人の噂だったりInstagramを見たり?
それが建築や庭の専門誌であれば会話はスムーズなのですが、このhouyhnhnmのようなファッション系媒体のライターさんだと、そもそも「庭師」とはどういう仕事なのかよくわかってらっしゃらないことが多い。
そのそもそもの部分から話し始めると結構なロングインタビューになってしまう。(飛鳥・奈良時代に概念ができ、平安で花開き、鎌倉で禅・枯山水、安土桃山で千利休・茶庭という流れッス、みたいなとこから)
すると何を聞かれ話しているのか結局よくわからないまま、互いに「あ…ありがとうございました」みたいな妙な空気で終わる。まるで話しがスベった芸人さんみたいな気分です。
ただその根の部分を理解してもらわないことには、何故に庭師という肩書に拘るのか(ガーデナーや植木職人でなく)困ってしまう。
近頃、まわりでも流行りつつある「山暮らし」「田舎暮らし」や、都会とそれを行き来するダブルスタイル。ともすれば自分も同じような匂いと思われていると思う。
でも実際のところ山暮らしにはまったく興味がない。僕は根っから都会っ子だと知っていて、向いていないこともわかる。
「植物など扱うから、もちろん大自然も好きだろう」という誤解。正直、森の中に囲まれて暮らしたいなんて微塵も憧れたことがない。
「庭」というのは昔から都の中に栄えた文化で、都会に無い空間をあえて作るからこそ面白く、贅沢だと思うのです。
京の都の時代でも、遠くに見える山々を庭と同じ空間に見立てることを借景(しゃっけい)と呼び、それは途方もなくオシャレな感覚だし、木々草花すら排除し庭石と砂だけで空間を表現した枯山水庭は斬新なモダン・アートだったであろうし、かの庭師・千利休だって当時はカリスマ・シティボーイだったはず。
そう、僕にとって庭や空間作りは完全にアートです。自然にたくさん木が生えてるだけの山や森は、たまにキャンプに行ければいいなぁくらい(それも興味ないかも笑)
ところで、このところのニュースやそこへの世間の反応はヒステリックすぎませんか。みなさんいったいどんな世の中になって欲しいのでしょう?などと。
以前、歌手の小沢健二さんが日本から離れている間にとあるコミュニケーションサイトに登場し、持論したことがあってなかなか興味深く覚えています。
ここで小沢健二氏はアートというものについて語っていますが、氏によればそれは現在は「ゆるく、まーるい、優しいもの」になってくる、と。
でもそれってアートに限らないと思うんですよね。みんなが理想とする社会のことすべてじゃない?と。
ぼんやり真っ白い空間で天使が周りをフワフワ舞うなか、みんな手を繋いでキャハハって笑うような。
みんな求める幸せな世界って、それが究極なんでしょうか?
そんなものに僕は中指立てたいですね。