先日、突然にメールがありまして、なにかと読んだところ某有名服飾学校の学生さんからでした。
なんでもスタイリストになりたくて、とあるスタイリストさんを師事したいがどこをどう探してみても事務所も連絡先もわからず、いろいろ検索するうち僕のInstagramに映るその人の姿を発見。なんとか連絡先わからないものか、という。
とらえ方次第では大変失礼なコトかもしれない。けど、この場合僕も元スタイリストだし痛いほど気持ちはわかりました。まさに藁にもすがるってやつ。
返信はしませんが、関係者には一応それとなく伝えました。返事があるといいですね。(もしコレ読んでいれば)
そう。いまはどうか知りませんが、僕らの時代は憧れのスタイリストのアシスタントに就くことなど藁をつかむくらいのもの。アルバイト情報誌なんかに載ってませんし、当然連絡先も知らない。考えてできることは、雑誌の編集部宛てに手紙を送るか、針の穴くらいのコネを駆使するしかない。
それでなんとか本人に手紙や履歴書が届いたとて、必要なければ封も開けずゴミ箱行きもある。タイミングという運も作用する。思えばなかなかの「狭き門」です。
ただ僕がスタイリストアシスタントになったのは、上記したようなものでなく本当にたまたま。
当時おつきあいした彼女がスタイリストで、その彼女に勧められるまま師匠の名刺を渡され、電話すると代官山の事務所に呼ばれ、でも師匠は居らず、暇で来客イスにどかっと腰かけ、雑誌ペラペラめくってたら、知らないロン毛のおじさん(蔡社長)にテメェ誰だと恫喝され、やっぱ六本木スタジオに直接来てといわれ、なんか仕事させられ、そのままその日からハッスルというスタイリスト事務所の若い衆。たぶん履歴書も用意してません。
だけど当時のアシスタントたちといえば、雑誌を読んで憧れたとか、地方から出てきたとか、そういう人ばかりで、そんな彼らの熱量と明らかに違う自分の「なんとなく感」に妙な劣等感がありました。
だって彼らのいうメッケ隊ってだれ? だし、そもそも師匠たちの名前も知らないし、ポパイやファッション雑誌は読んでたけど、パラパラめくってふーんだし。普通の人はクレジットはブランドと値段くらいでスタッフには興味がない。その部分まで噛り付いて読むようなひと。つまりオタクじゃなければ辿り着かない。
それが自分になかった。ニュートラルで覚めてて良かった部分もある。だからサッと辞められたのかもしれません。
だけど本来は、先のメールの子や当時一緒に過ごしたアシスタントたちみたいな、熱中してるひとたちがやるべき仕事。中途半端になんとなくならサッサと去った方が業界のみんなのためです。
それとまた先日、先輩から独立したスタイリストから電話があり、彼もスタイリストを辞めると報告があった。田舎に帰って大工を目指すという。じつは彼には以前から相談されていて、修行にあたっての不安だとか。
彼ももう嫁さんも子供もいるので、諸々問題はあったと思う。でもスタイリストと同じくらいやってみたかった大工職人の道へ踏ん切りがついたようです。まるで他人事と思えず、陰ながら応援します。
スタイリストから大工もカッコいいじゃん。庭師同様ぬるい仕事じゃないけど頑張ってほしい。
あと、これまた同時に、同じ先輩から独立した元スタイリストw(もーなんなの!)から連絡があり、帰った田舎(岩手)からまた戻ってくるという報告(彼も妻子持ち)。
数年前、盛大な送別会で見送ったはず。こっちきてどーすんの?
「そのうちまたスタイリストやろうと思って」
、、、、、。
「がんばって」としか返せなかった。
けど、ぶっちゃけ言っていいですか?
くそダセェ。
いや、もっかい言っていい?
くっそダセェ!
ぬるいこと言ってんじゃねえよ。
この対極するふたり。数年後が楽しみです。