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BLOG - 中室太輔(muroffice ディレクター)

聞き間違い。

「あー、なんか消毒液食いたくなってきた。」
先日、僕は友人が言い放ったその言葉に耳を疑った。「消毒液を食う」とはいったいどういうことだ。しかも百歩譲ったとして「食う」じゃなくて「飲む」だろ。そんなことはさておき、どこか悪いのだろうか。消毒液を服用するなんてあまり聞いたことがない。待てよ。「食いたくなってきた」のその欲してる的なニュアンスからすると、なんかこう服用すると喉から胸のあたりにかけてスゥ〜っとする的な?その感覚が欲しくなっちゃって飲みたい、いや「食いたい」のか?しかしそんな僕の思いも、その後の話の流れでその友人が「消毒液」ではなく「ショートケーキ」を食べたかったということに気づき、安堵に変わった。

このように、僕は聞き間違えることが多い。いわゆる「空耳アワー」的なことである。制作費が生活費に聞こえたり、日本一が見本市に聞こえたり、新橋がシンパシーに聞こえたり…。少し前まではすぐに「え?シンパシー?」と聞いてしまい毎回アホを見るような目で見られていた。しかしいつまでもそんな目で見られたままで黙っているような僕ではない。最近は前述のようにしばらく話の流れをじっくりと見極め心の中で「あ、なるほど。さっきシンパシーと聞こえたのは新橋だったのか」と手のひらをポンとグーで叩く。そしてあとは「初めから新橋の話題に入っていました」という顔をしコンプリート。これが聞き間違いを聞き間違いのままにしない技術である。

そんな技術を持った僕だが、逆に聞き間違「われる」側に立たされるとなす術がない。
先日、打ち合わせ先の表参道から急いでいたということもありタクシーに乗り原宿の自分のオフィスに戻った時のことである。タクシーを止めてドアが開くなり素早く乗り込み、挨拶もそこそこに運転手さんに「すいません、とりあえず明治通りに行ってください」と言うと、

「イメージどおりにですか?」

と聞き返されたのだ。どういうことだ?運転手さんの”イメージどおり”とは。運転手さんの誠に勝手ながらの僕の印象から目的地と、そしてそこまでのルートが決定され、そして運転手さんの頭の中で描いた”イメージどおり”に全てが執り行われるのだろうか?そこまで思いを馳せた時にハッと気づいた。運転手さんは「明治通り」が「イメージどおり」に聞こえたのだと。

僕の全てに対して、とりわけ対人に関しての意識がオンになっていたら、「嫌だな運転手さん!イメージどおりに行っちゃってどうすんのよ!明治通りよ、め・い・じ・ど・お・り!もー。・・・いや待てよ?おもしろうそうだな!行っちゃおう!もう運転手さんのイメージどおりに行っちゃおう!」とでも言えたかもしれないが、恥ずかしながら僕は完全にオフっていた。その時の僕は、「え…いや、明治通りに」と何ともつまらない返しをしてしまったのだ。悔やまれる。二週間近く経った今でも悔やまれてならない。なんかこう、胸の辺りがモヤモヤするのだ。そうだ。こういう時に消毒液でも服用するといいのかもしれない。

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