BLOG - 松井智則(PR01. 代表)

お久ね神楽坂

18歳で上京して、知り合いも、コネも何もなく、最初に始めた仕事が

 

「新聞配達」

 

です。

しかも住むところもなかったので、新聞配達の寮に住み込みです。

そして親に

 

「東京行くなら、どこかの学校には行きなさい」

 

という条件もあったので、音楽の専門学校に入りました。

その学費も払うために新聞奨学生制度というものを自分で調べて新聞配達の仕事を選んだという流れです。

 

その新聞配達の事務所が市ヶ谷柳町という場所にありました。

神楽坂からとても近かったので、よく神楽坂でご飯を食べたり、買い物したりしていた18歳の頃。

そんな神楽坂にたまたまお仕事で行くことになり

到着。

昼間に神楽坂に来るのは10年以上振りです。

 

「懐かしい」

 

とか感じると思ったが、あまりに久しぶりすぎて

 

「覚えてない」

 

というのが正直な所です笑。

 

で今回の目的地

ルートKコンテンポラリー」さんへ。

2年前くらいに同ギャラリーのオーナーさんとお知り合いになり、色々相談に乗ってもらってます。

で、本当素敵なギャラリーを見せてもらった後は

若い頃は行く機会がなかった素敵な蕎麦屋さんへ連れて行ってもらいます。

蕎楽亭」さん。

素敵な天ぷら。

若い頃は何故か蕎麦がそんなに好きじゃなかったのですが

歳とって美味しい蕎麦を知ってからお蕎麦が好きになりました。

で、美味しい蕎麦を頂いた後は素敵なバーにも連れて行ってもらいます。

いやーーー、大人になってからの神楽坂の見え方は違いますね。

楽しいです笑。

でここで

一緒にギャラリーを見に行ったYOSHIKO CREATIONのデザイナーよしこは帰宅。

で、最後は神楽坂の思い出を振り返りながら、いつものバーで一杯。

なんとなく18歳の頃をブログで振り返ってみたが、あんまり覚えてないのも事実だなぁ。

 

18歳 新聞配達

20歳 パルコで販売のバイト

21歳 カフェでバイト

22歳 古着屋で社員

23歳 カンナビス入る

24歳 プレスの仕事始める

28歳 PR01.て部署作る

39歳 今の会社作る

 

って、シンプルにこれくらいしか覚えてないかも笑

なんだろう?

めちゃくちゃ色々あったはずなのに。

今が充実しているのか、忘れっぽいのか。

いや、未来しか考えてないということにしておこう笑。

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