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BLOG - フイナム ランニング クラブ♡

1日1時間走ることで「沈潜する」時間を持つ。

部長の榎本です。

ちょっと前の記事ですが、あの齋藤孝さんが書いていたことがとても腹落ちしたので、ここにシェアしておきます。

以下、その一節から抜粋。

旧制高校の学生が使った言葉で「沈潜(ちんせん)する」というものがありました。自己研鑽すること、自分を磨くことを「沈潜する」と表現したのです。とてもいい言葉だと思います。

忙しい毎日、膨大な情報洪水に流され浮遊するのではなく、「沈潜する」時間を持ちたい。本を読んで著者と一対一で対話する。あるいは自分自身と対話する。作品の本質に迫り、グッと自分の深い部分や心の奥底に沈んで潜っていく感覚です。そこにはネットでの画像や動画の派手さや、SNSで短い言葉が飛び交う喧噪はありません。
(中略)
今の世の中、「沈潜する感覚」があまりにも少ないように思います。人間の精神の深いところへ沈み込み、今まで気がつかなかった自分の無意識の世界、内面の世界を改めて発見する。それが「沈潜力」です。
毎日の1時間を「沈潜する時間」に変えるだけで、世界は大きく変わって見えてくるのではないでしょうか。

齋藤さんの言説は読書の効能を説いたものだけど、これ、そのままランニングについても言えるんじゃないかなーと。

グループランとか、レースとかで、みんなといっしょにわいわい走る。それはそれでもちろん文句なしに楽しい。けれども、ランニングの本質はそこではなく、ひとりで沈思黙考しながら走ること、すなわち「沈潜する」ことにあるんじゃないかと思うわけです、個人的には。

村上春樹さんも同様のことを書いています。

(中略)一日に一時間ばかり走り、そこに自分だけの沈黙の時間を確保することは、僕の精神衛生上にとって重要な意味を持つ作業になった。少なくとも走っているあいだは誰とも話さなくていいし、誰の話を聞かなくてもいい。ただまわりの風景を眺め、自分自身を見つめていればいいのだ。それはなにものにも換えがたい貴重なひとときだった。
(『走ることについて語るときに僕の語ること』村上春樹著)

この一節、激しく同意です。

どんなに忙しくても、1日1時間走ることで、沈潜する時間を持ちたいものです。
なかなかそうもいかないのが現実なんですけどね。

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