この歳になると、
王道の良さに憧れつつ、
「外し」のもので個性を出したがる傾向があります。
結果、なんか普通にダサいものを一所懸命使って、
「これがいいんだよ!」なんて、
逆に言い訳がましくなったり。
さて、
人生の大半を、
眼鏡で過ごしている僕は、
海外旅行に行くと、
眼鏡を探すクセがあります。
元共産圏あたりの、
大量生産された眼鏡のデッドストックとかがあればいいのですが、
今はどこに行っても同じような眼鏡しか見つかりません。
アンティーク、ビンテージも、
非常に面白いですが、
毎日するものなので、
なんとなく抵抗があり、
いつもするものなので、
壊れやすいのも考えものです。
たまに旅先で、
無名の安物の眼鏡を求めますが、
飽きやすいのも事実です。
最近は、チタンのトムフォードをずっとしていますが、
一見トムフォードとわからない感じとか、
軽くて、グニョグニョしてるところとかが気に入っているなんて言ってる時点で、
なんか負けた気もします。(何に?)
さて、どの本だったか、伊丹十三氏が、
こうじゃなきゃダメだと言う押し付け
(この押し付けをモノサシとして生きてきたし、この押し付けに随分助けられてきているんですが)
の中で、
「メガネはツァイス」
と、言うのがありました。
(確か、女性の靴は「シャルルジュールダン」)
カメラは、ライカか、ツァイスかで、
永遠で不毛な論議になってしまいますが、
そう。
メガネはツァイスなんです。
20年ほど前に、
ロンドンの眼鏡屋で、
ニコンのレンズを断り、
ツァイスのレンズにしてもらったことがあります。
値段は高かったですが、
透かしが入ってて、とにかくビックリしましたね。
これが、ツァイスかと。
しかし、日本ではなかなかツァイスって話にもならなく、
しばらくご無沙汰していましたが、
ついに旅先で、
「ツァイスビジョンセンター」なる店を発見。
今しているメガネのレンズもツァイスに変えてもらいましたよ。
究極の自己満足。
同じ度数で、レンズだけ交換のオーダー。
数字を見ると、何故か、今までのレンズと数値が微妙に違うのが気になりますが、
それがツァイスなのか。
とにかく、メガネはツァイスなんです。
フレームもツァイスと思いましたが、
見た目が20歳は老けると言う、
まさかの展開。
それでも、ツァイスのフレームを選ぶ漢気は、
今の僕にはまだ無いのです。