僕は、ブログや、SNSで、政治的な発言をしたいと思っていませんでした。
理由は、いろいろあるのですが、
それは僕の仕事ではないと思っていたのです。
でも、どうしても言いたくなってしまいました。
どんな方が、僕のブログを見ているかはわかりませんし、
僕がこんな気持ちを伝えることで、
どんな気持ちになるかはわかりませんが、
僕も今までないような気持ちになったので、
もしお時間あるようなら、聞いていただきたいです。
そう。気持ちの話なんです。
今日、この番組を見ました。
テレビを見て泣くというのは、
ちょっと恥ずかしいと思っているんですが、
もう、号泣でした。
悔しくて。
戦争で亡くなった方、
今も苦しんでいる方がいるのはもちろんわかっていました。
僕の永遠の憧れ、
野坂昭如さんも、
戦争は絶対ダメだといい続けて、
亡くなられました。
でも、やはり、どうしても実感が湧かない。
75年前の話を、自分の中に落とし込むことが難しい。
しかし、このドキュメンタリーには、
全然違う気持ちで、憤りと、悔しさと、悲しさを感じました。
ぜひ、見ていただきたいと思うのですが、
あえて短く説明させてもらうとすれば、
空襲で肉体的な被害を受けた一般の方々を、
民間空襲被害者と言うそうです。
足を失った方や、
顔や身体にケロイド状の火傷を負った方など、
たくさんの被害者がいました。
75年たった今は、当然、亡くなった方が多くいます。
僕は、そういう方々に対して、
日本の国は、きちんとした補償をしているのだと思っていました。
でも、実は、そのような民間被害者の方々は、
国からの補償を受け取ることはなかったのです。
ゼロです。ゼロ。
国からの雇用がなかったという理由で、
「耐えてください。みんな耐えてるんですから」と、
面と向かって言われて、拒否されていたのです。
「受忍」という言葉を押し付けられ、
軍人の方々は補償を受けているのに、
民間人の戦争被害者は、何もしてもらえなかったのです。
顔のケロイドを治すのも、
美容整形だと言われ健康保険も使えなかったのです。
そのような中でも、
「あなたは顔もおかしくないから、よかったわね」
「あなたは、足があってきちんと歩けてよかったわね」
と、お互い励まし合って生きてこられたのです。
でも、国からの補償を求める活動をして、
仲間を見つけ、少ないながらも生きがいを見つけていたにもかかわらず、
顔がケロイドになってしまった女性は40歳で自殺をしてしまいます。
そんな絶望、信じられますか?
亡くなった女性は、
結果として、
そのあと何十年生きてきたとしても、
結局、補償は受けられず、
幸せな暮らしを迎えることは、きっと難しかったでしょう。
仲間を失った方も、
悲しみを背負い、
その後何十年も絶望の中を生きてきたのです。
今、僕も含め、日本中の人が、
コロナ問題で、
辛い状況を突きつけられています。
会社が潰れるかもしれない、
露頭に迷うかもしれない。
しかし、コロナよりも何十年も前から放って置かれている、
大事な問題があることを知りました。
誤解を恐れず言えば、
コロナの方が、「受忍」に、しっくりくる。
コロナの方が、国の責任は薄い。
未来は、もちろん大事だと思います。
でも、過去をきちんと清算できていないのを知って、
本当に意味のある未来を迎えられるのでしょうか。
僕は、人生の中で、今のところ、「絶望」を感じたことはありません。
それを幸せな事と思っていいのか、
正直わからなくなりました。
今を、自分の人生を、精一杯生きているだけで、
本当にそれでいいのでしょうか?
ここからは、
僕の雑な意見であり、希望です。
今、戦後75年、
被害を受けても、頑張ってこられたご存命の方々に、
少しでも楽で、安心な暮らしをしていただきたい。
何か寄付などお手伝いをしたいと思って調べるのですが、
民間被害者の方にピンポイントで何かができるのかどうかがわかりません。
どなたか、そのような活動をされてる方を知っている方がいたら、
どうか教えてください。
(見つけました!こちらが、テレビにも出られていた安野さんも活動されている団体です。)
と、いうか、、、
国の予算のさじ加減って、一体何なんでしょう。
民間被害者の方々への補償って、
そこまで大きなお金の問題なのでしょうか?
戦闘機一台買うのをやめるだけで、
民間被害者の方々全員の、これからの暮らしのサポートをできる気がするのですが。。。
ボクは、おかしいんですかね。。。