僕の尊敬する友人が「note」で、
「想像力が欠如してる人、
或いは考えることを無意識にせよ放棄してる人」
が、好きではないと言っていました。
僕も、必要以上に楽観的な時がある反面、
物事すべてに、なんらかの理由があって欲しいと思っています。
なぜ、この色なのか、
なぜ、この味なのか、
なぜ、これを選ぶのか、
なぜ、これを選ばないのか。
思い起こせば、
この数年間、
いや、十年間以上、
ひょっとすると、物心ついてずっと、
そこに大きくこだわってきた気がします。
人から見たら、「なんとなく」僕が選んでいるように見えることも、
なんとなくの背景には、長い時間をかけた「なんとなく」があり、
それを説明するのが野暮だと思い、即決しているように表現してしまっていたり。
めんどくさいですね、ほんとに。
付き合ってくれてるスタッフに感謝してもしきれません。
コロナ以来、人々の考え方が変わるのは当然で、
これからの人生をかけた選択を、
今まで生きてきた中でのルールから、
180度変えてしまうことも不思議ではありません。
例えば、突然思い立ってうちの会社を辞めるスタッフがいても、
悲しいとは思いながらも、
きちんとした自分の考えに基づいているなら、
止める理由はないでしょう。
そんな、大きな決断は、きっと人生の無駄にはならないと思います。
ここ数ヶ月、僕自身も、そんな大きな決断を、多くすることになりました。
なかでも、辞めること、縮小すること、考え直すことは、
一見ネガティブに見えますが、きっと、元々、必要なことだったのだと思います。
コロナがきっかけというか、背中を押してくれるというか。
この決断において、きっと傷つけてしまったひともいるでしょうし、
迷惑をかけてしまったひともいると思います。
でも、問題を先送りすることはできないと僕は思っています。
そんな、状況の中、
自分たちが生きていく上で、
変わっていくこと、
そして一緒に進んでいくことを選んでくれた人がいます。
そう、
想像力が欠如してる人、或いは考えることを無意識にせよ放棄してる人
を好きではないという人です。
僕は、コロナを「またいで」の新企画は、
もう触るべきではないと思っています。
なぜなら、世界は変わってしまった、
僕も変わってしまったんです。
もともと僕たちの持つアイデンティティと、
コロナの時期を過ごして、
変わってしまった自分たちの気持ちのフィルターを通して、
新しいことをアウトプットするべきだと思います。
そんな僕たちの話を聞いてください。
そして、
皆さんの、アイデンティティのフィルターがかかった「なんとなく」の意見をいただきたいです。
明日、7月16日(木) 20時〜
インスタグラムライブで。
@ginzamusicbar
あ、余談ですが、
この「note」の投稿を読んだ時、
いつも二人で話してる内容ではあったのですが、
なんか「なんとなく」感動して、
気持ちを伝えようとしようとしたら、
投げ銭しないとできないんですね。
迷わず、投げ銭しましたけど、なんとなく。