ここ数年、
似たような サンプリング手法の絵を描く人が増えているようですが・・・。
(Recently, some sampling-style paintings are increasing.)
ただ、これだけはハッキリ言っておきます!
僕が レコードをモチーフに大量に描き始めたのは 1998年からです!
(I started this sampling drawing this style in 1998!)
だから ラッパーみたいに ハッキリ言っておきます!
マネすんな バーカ!!
ってのは冗談ですが
(自分もサンプリングしてるしなぁ…笑)
とにかく 他の人はともかく
自分の事実としては、
現在に 至るまで20年以上の ストーリーと想いがあります。
(I have more than 20 years of story and spirit. )
で、
今回は
真面目に
年表プロフィールを
ここまでの人生も 記録として
アーカイブを 書き留めておこうと思います。
今は
2次創作 3次創作、4次創作、
サンプリング作品のサンプリングまで存在する世の中です・・・。
創作のきっかけ・・・
これは以前こちらでお話させていただきました。
―まず初めに、創作のきっかけを教えて下さい。
もともと父親がレコードコレクターで、産まれた時から家に 1 万枚以上のアナログレコードがありました。小さい頃は、毎週日曜日になるとレコード屋に連れまわされ、時には熱中症でぐったりしながら車の中で待たされたりしていました。その頃は、音楽そのものへの関心はまだ薄くて、「ジェームスブラウン」を「グッチ裕三」ぐらいの感覚でとらえてマネして踊っていました。動きが面白いおじさんだな、みたいな。
僕が育ったのは兵庫県の尼崎と伊丹。ガラの悪い下町で、ヤンキーがめちゃめちゃいる地域でした。パンチパーマの先輩が 20 人ぐらいいて、この人たちに何か命令されたら断れない、そんなハードな環境に身を置いていました。(詳細は記載不可)
高校生の頃は、ちょうどヒップホップがアメリカから日本に広まりだした時期でした。当時のラッパーたちって、めちゃめちゃ柄が悪かった。そこに地元のヤンキーの 先輩と同じリアリティを感じて、すごく衝撃を受けました。しかもヤンキーよりも都会的で 何かこっちの方がイケてる!って。それからヒップホップにどんどんハマっていきました。やがて、ヒップホップを聴くうちにあることに気が付きました。それは、父親の膨大なレコードコレクションの中にヒップホップのサンプリングネタがほとんどあったということです。ヤンキーの先輩に囲まれて、くじけそうなときに出会ったヒップホップ。そのルーツと なる音源がほとんど自宅にあることを知って、初めて父親を尊敬しました(笑)。
それからは、学校にも行かずにひたすらレコードを聴いて過ごしていました。レコードを 聴くときは必ずカセットテープに録音していました。だけど、聴いているだけだと手持ちぶさたというか暇だったんです。その時に思いついたのが、自分なりのイラストでそのジャケットを表現することでした。愛着も沸くし、ただ聴くより記憶に残るなと思って自然と描き始めたのがイラストを描き始めたきっかけです。
そこから
1998年〜2000年 頃
それ以前にも 授業中に落書きとして レコードの絵は描いてましたが、
上記の 引きこもりのような 大学生活で
98年には 意図的に大量に テガキでレコードの絵を描き始めます。
この間に約100本近くのカセットテープを描いています。
(WOOFIN’1998年の2月号DJ MUROさん選盤レアグルーブのレコードから大量に描き始める。)
当時の狭くてゴチャゴチャの部屋の写真に かすかに写っていますね。
このカゴに 描いたカセットテープがぎっしり埋まっていました。
(レコード屋さんのBOXのようにしたかったのです。)
しかし、この時はまだ家に来るような友人しか知らない状態です。
(深夜の大阪で5〜6人がかりの強盗にあって顔面流血
全治3ヶ月の怪我を負った時に 友人が お見舞い来てくれた時の写真)
90年代後半〜 の 自分のゴチャゴチャの部屋。
(井上三太さんの隣人13号を読んでいるようです。)
このあと、 大阪の DISCO PARTY CREW “SuperSoulShow” の駆けだしDJとして
大阪フラット、アンダーラウンジ、京都ワールドで毎週末 DJ活動スタート。
同時に大学卒業後、神戸の長田区ゲットー婦人靴 工場に就職。当然、ブラック零細企業で
ミシン場の謎な オバハンにがっつりセクハラされるなどの 地獄の3年間を送ります。
98年頃の実家 親父の部屋、廊下、リビング。
父親のレコードとCDだらけの家、いつでも聴ける
リアル spotifyのようにしたかったようですね。
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2005年
地獄のゲットー職場 の生活から 転職を決意。
奇跡的に マトモな東京の会社の採用試験に受かり
ゲットー工場の屋上で 煙突のモクモクケムリにまみれながら
脱出できる喜びで ぬおおおおおおー! と雄叫びをあげます。
そのまま 上京。 今度は関西ゲットーから来た
トンデモ契約社員として東京生活が始まります。
しかし、
遠距離恋愛中だった 大切な彼女とも別れてしまい・・・。
全く友達がいない ゼロの状況の中で・・・
初めて SNSというものが登場します。
それがmixi。
当時 mixiに 初めてテガキを アップしているうちに、レコードバイヤーや
ラッパーのダースレーダーさんにコメント頂いたり、
東京砂漠で 少しづつ友人が出来てきます。
中でも、
KOZZさん はレコードバイヤーをしていたので音楽に詳しくて、
直接レコードを買ったり、いつも一番乗りでコメントをくださって。
夜な夜なマニアックな話につきあってくれて 僕は大好きでした。
まさに東京砂漠の中に見つけたオアシス。
レコード屋をオープンしたらカセットを飾りたいと言ってくれて、
それがとても嬉しかったです。
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そして
2008年
9月にマウンテンモカキリマンジャロ(モカキリ)の出演しているPARTYで
初めて D.Lさん(ブッダブランドの デブラージさん)にご挨拶します。
嬉しすぎて、James BrownのLIVE盤 レボリューションを描いたカセットテープを
プレゼントしました。
その日の 出来事が デブラージさん(threeeyebose)の2008年のblogに書かれてあります。
その後、様々なSNSが登場して
最初に インスタグラムにアップしたのが 2012年。
もともと知っていた友人はこの時点で 懐かしい〜!とコメントしてくれています。
ツイッターでも 上記のカセットテープの写真が
オカモトズの ハマオカモトさんにRTされるくらいの規模のRTがあり
ツイッター慣れしていない自分は 広がる情報が ただ怖くて 当時かなり焦りましたが・・・
古すぎてその時のデーターは、これしか残っていません。
そこから カセットテープだけでなく、CDRにHIPHOPの絵も描き始めます。
2014年には なぜか突然 海外の音楽サイトに取り上げられ 音楽関係者から広まりはじめました。
僕自身は98年から 何も変わっていないので・・・
SNSやインスタグラムの広がり方、世間の変化の凄さを実感します。
また ラッキーな事に
スチャダラパーのDJシンコさんのパーティーに
ファンとして通っていたら、
最初からテガキを 面白がって見てくださっていて、
そこからの流れで、お二人をDJとしてお招きして
最初の個展を行ったのが2014年の7月です。
いちばん最初に描いてた98年は ほとんど誰にも理解されなかったですが、
16年も後に やっと実を結びはじめました。
なんと漫画家の 井上三太さんにまで、コメントいただいていました。
東京ってすごいトコロですね!
以降
そのあとの活動を
箇条書きでまとめると・・・
2014年
FACT ,EGO TRIP ,Sampling Love, などに取り上げられる。
初個展開催。
ゼンラロック氏のHEAVEN FORNIA CD盤面イラスト提供。
ゴッドサービス Live by JV MIXCDのアートワーク。
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2015年
展示 NOS恵比寿 by Nine
ダニエル ワン ハロウィン パーティー フライヤー制作。by Primitive
DJ MURO氏 30th 中国 九州 ツアーTシャツ by alcoholic
フィナムアンプラグド にアーティスト紹介。
Aaron Bondaroff , AlexOlson, Eric Duncanに NYCのA1recordsイラストTeeを来日時に渡す。
NYC ガイドブックWassup!NYC にアートワーク提供。
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2016年
展示 mAAch ecute 神田。
Roland TR8に使用するオーバーレイシートにオフィシャルアートワーク提供。
RAY MANG at Oppalaのフライヤーアートワーク。
The Trilogy Tapes Will Bankheadの HPにテガキしたKASSEM MOSSEなどの絵が
掲載される。(来日時にご挨拶するもベロベロだった・・笑 が覚えていてくれた。)
フィナム アンプラグド、スポーツ特集にイラスト提供。スティーブジョブスのステッカー作成。
Let’s Play House NYC Jacques Renault at Oppalaのフライヤーアートワーク。
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2017年
ゴッドサービス Live by JV MIXCDのアートワークがスタジオボイスのAlexOlsonページに掲載。
SUPPLY tokyo にてNYCのA1recordsイラストTeeを販売。
アストアロボット にてPUNK,NEW WAVE~OLDSCHOOL HIPHOPをテーマに展示を行う。
Yo!Brother /DJ JIROU mixCD ジャケット アートワーク。
RUN RUN RUNS CD ジャケット アートワーク by DJツッチー氏(シャカゾンビ)
Container Webマガジンにインタビュー。
DJのKAI YAMASHITAとbon appétitとして コンタクトやオッパーラでのフロントアクトDJ。
KZA氏をレジデントDJとしたPARTY ”YELLOW CARD”などの現場でのDJ活動も同時に行う。
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2018年
POPEYEのスタイリング スナップにて アストアロボット展示で作ったコートで掲載される。
ドクターマーチンさんイラスト提供。青山店のPOPUP展示。
DJ SPINNA & DJ NORI at Oppala のフライヤーアートワーク。
ロボ宙氏のカセットテープのアートワーク提供。
ファイヤーキングカフェにてラジカセをテーマにした”RADIO CLASH” 個展。
メジャーフォース相関図のアートワーク。by Redbull music
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2019年
ERIC DUNCAN at Oppalaのフライヤーアートワーク。
吉田美奈子さんご本人からTシャツの件とジャケットの件で 訪ね人、ライブ会場にて ご挨拶。
ロボ宙氏の7インチ レコード バージョンにもアートワークが使用される。
DJ HARVEYに絵がシェアされてDMがくる。
和物12インチ レコード6枚 のアートワーク。
(松井寛、福富幸宏×2、川崎燎、二名敦子、阿川泰子)
フリーペーパーHIDDENにテガキZINが掲載。
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2020年
RAHAAN来日ツアーのフライヤーアートワーク。by Primitive
日本音楽大全集 12th DJ 旗本退屈男のフライヤーアートワーク。
the Apartment 11th Teeシャツにお店をテガキした アートワークが使用される。
bay FM番組紹介ページ イラスト提供。
POPYEYEマガジン映画特集にイラスト提供。
〜現在に至ります。
BeniさんがGrace Jonesのテガキを 手にとってくださった時の写真。
(Bijou R.IとAkeem氏とbeside the bagの合同展示会にて)
長文を読んでくださって大変ありがとうございます。
これは僕にとって とても大切な内容です。
最後まで本当にありがとうございます。