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BLOG - 田辺良太(WHITEWALL代表 アートプロデューサー / コンサルタント)

ナイトライフTシャツ販売します!

27日日曜日からARTRANDOMでナイトクラブの名前が背中に入ったロングスリーブのTシャツを販売開始します!サイズはXLのみで5000円なり!

なぜこんなTシャツを?というと実は僕は1980年代、90年代にニューヨークにいてクラブ行きまくっていたのでその頃行ったクラブ名ありったけ思い出してTシャツにしよう!と思ったのです。

(しかし、トンネルというクラブの名前を加えるの忘れていたのが唯一悔しい。)

皆様ご存知かわかりませんが1977年にオープンした「STUDIO54」はディスコという社会現象を作り上げ、そこに集まる様々な人々を熱狂させたのです。

ウォーホールはもちろんセレブが集ったこのディスコはしかし1979年にわずか2年で閉店。

同じく1977年にオープンした「パラダイス・ガラージ」は伝説のDJラリー・レバンによってDJをアートの領域にしたクラブでしたがこっちは10年続いて1987年にクローズ。

僕はというとニューヨークに行ったのが1981年だったので「STUDIO54」やそのあとにオープンしたロキシーなんかはすでに伝説になってました。

パラダイス・ガラージは行きましたが一度踊り始めたらもう数時間はやめられないほどのサウンドで翌日が完全に潰れるので行くのにかなりの勇気がいるクラブだったのを覚えてます。

1992年、アカデミー・オブ・ミュージック劇場を改装して誕生したのが巨大クラブ「パラディアム」でここは凄かった!

なにせ武道館くらい広くて遠く上の方まで観客席があってはるか下に小さく四角い踊り場が見下ろせるという感じである意味シュールなクラブでした。

中は当時先端のアートだらけで「マイケル・トッド・ルーム」と呼ばれた横長のバーの壁いっぱいにバスキアによる壁画が描かれていたっけ。(今考えるとかなり贅沢!)

そのほかにも毎月テーマごとにクラブの内装を全て変えちゃうという信じ難いクラブの「エリア」も面白かったっけ、ハロウィンパーティーなんかはビニール製の血のべっとりついたおもちゃのナイフが招待状として送られてきたりして。

古い教会をクラブにしてしまった「ライムライト」や僕がTシャツに今回プリントし忘れた貨物線のトンネルをそのままクラブにした「トンネル」など伝説的なクラブが次々に現れたあの頃「ナイトライフ」という言葉も生まれたのでした。

金持ちも普通の人も人種もジェンダーも関係なく全ての人が同じ屋根の下で飲んで踊ってハイになって踊りまくっていたあの時代、それこそコロナ的には絶対にいけない「密」が満載の環境で皆が盛り上がったものです。

もう二度とあんな時代は来ないんだろうなあ〜まさにアートだったなあ!

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