2022年10月1日、アントニオ猪木さんがお亡くなりになった。SNSのTLは猪木祭り状態だ。追悼の意味も込めて、ぼくもアントニオ猪木さんの思い出話を。
小学生の頃から今に至るまでプロレスと総合格闘技のファンでいるきっかけは、間違いなくアントニオ猪木だった。一連の異種格闘技戦はあまり記憶にないものの、ハンセンとのNWFを巡る闘いやIWGP構想、いわゆる金曜日8時に熱狂した世代だ。
だからといって、常に好きな存在であったわけではない。応援していた時もあれば、時には憎しみの対象でもあった。多くのプロレスファンにとって、そういう存在だったのだと思う。
そして、歳をとるに連れて、そうした個人的な感情すら超越したレジェンドであることに気づいていく。
ボクシング、柔道、ルタ・リブレ、バリツーヅなど世界中の格闘技にアンテナを張り、時にはリング上で闘った。リング上の闘いがすべてリアルだったわけではないが、常に闘いにおける強さを追求し、いざとなればいつでも真剣を抜いただろう。
アントニオ猪木がいなければ、佐山聡が格闘技に傾倒することもなかったかもしれない。
アントニオ猪木がUWFに行かなかったから、UWFが総合格闘技路線に舵を切ったのかもしれない。
アントニオ猪木がいなかったら、総合格闘技(Mixed Martial Arts)は陽の目を見ることはなかったかもしれない。
世界一のプロレス団体「WWE」と全米No2のMMA団体「BELLATOR」、そしてCNNも猪木さんが亡くなられたことを報じている。
ぼくはアントニオ猪木と同じ時代に生きた幸運に感謝したい。子供の頃から今でも、格闘技に熱狂できるのはアントニオ猪木がいたからだ。
何度か近くでお見かけすることがあったが、底の見えない底なし沼のような印象を持った。それは裏返せば、常人を超えた超人ならではの姿だったのかもしれない。
アントニオ猪木さん、いままでありがとうございました。心よりご冥福をお祈りします。現世では常に闘い続けてきた猪木さんは、天国でも闘い続けるのだろうか。それともゆっくりとお休みになられるのだろうか。
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