BLOG - 渋井勇一(RASSLIN'&CO.代表 / Mountain Martial Artsディレクター)

「シン・ウルトラマン」超私的レビュー

「シン・ウルトラマン」をようやく観た。

最近の映画は公開から二週間程度経過すると、ネタバレなニュースが流れ始める。今回もバンダイのフィギュア紹介のメルマガで◯◯◯◯◯が出ることを、Yahooニュースで◯◯◯◯◯が◯◯◯することを知ってしまった。

本当は公開翌週に行こうと思っていたのだが、仕事がバタバタしてなかなか行けず、そうこうするうちに恐怖のネタバレが始まってしまったので、慌てて仕事帰りにTOHOシネマズ六本木ヒルズに駆け込んだ。

以下、具体的なネタバレはあまりないけど、ネタバレに近い内容の表現がありますので、まだ未見の方は鑑賞後にお読みください。また、私的なレビューなので、反論などはお避けください。ぼくの感想はぼくの感想、あなたの感想はあなたの感想。

画面に躍る明朝体、読むのも苦労する説明文、とてもじゃないが頭に入り切らない情報が速いテンポで画面に浮かんでは消えていく。そして、あえての昭和的な絵作り。庵野(総監修・脚本他)、樋口(監督)コンビの香りがぷんぷんする映画の始まり。「やりたい放題じゃないか!」と、多くの特撮ファンは喜んだことだろう。ぼくもその一人である。

しかし、観続けていくと、ある予感がしてきた。もしかしたら、、、

そして、映画は終盤。「ウルトラマン」最終回の有名なシーンで作品は幕を閉じる。

こ、こ、これは、、、

「シン」が「真」か「新」かわからないのだが、基本的に1966年のオリジナルストーリーに準じた展開で、なんというか、期待したほどの新しさを感じられなかったのだ。現代に置き換えたリアルなシミュレーション的な演出は「シン・ゴジラ」で観たし、山本耕史さん演じるメフィラス星人とウルトラマンこと斎藤工さんの会話シーンもどことなく実相寺昭雄さん風。全体的に既視感がある。

オリジナルの尺を短くして繋いだような展開もテンポ悪く感じられ、クライマックスへの抑揚感も乏しい。正直なところ、あまり面白くなかった。これが鑑賞後の感想だった。

好きか嫌いで言えば、嫌いではない。でも、ファンムービーを観ているようだったのだ。観た印象が「映画=作品」というよりも、「特撮関連の展示会」(特撮博物館、特撮のDNA、庵野展など)に近かった。

実際にオリジナルのファンが特撮のプロになって撮った作品なので、ファンムービーという捉え方は間違っていないのかもしれないし、それでよいのかもしれない。でも、個人的にはマニアが細かい部分に喜びを見出す面白さより、「シン・ゴジラ」のような、誰が見ても圧倒的に面白いと感じる解釈やダイナミズムが見たかった。

そうならなかったのは、おそらく作り手の意識が内側に向いていたからではないかと思う。オリジナルへの愛が深い故に、オリジナルの新解釈ではなく、拡大解釈に留まった。

※逆にいえば「シン・ゴジラ」は庵野監督のゴジラへの思い入れのなさから、あれだけの新解釈ができ、結果論的に成功した。

それは意図的に「特撮」的な表現をしていたことからも感じられる。ウルトラマンが飛び去るシーンは(CGか人形かわからないのだが)オリジナルとほぼ同じ。BGMに鳴り響く数々のオリジナル楽曲。公開から二週間経った今でも、マニア勢の間ではオマージュネタ探しが熱く語られている。

言ってみれば、エンターテインメントではなく、ウルトラマンを好きだった人たちが、ウルトラマンを好きだった人たちに向けた映画。それゆえに賛否両論となる。個人的な好みと作品としての評価が分かれる、とても判断の難しい映画だと感じた。

ということで、もやもやした気持ちで劇場を後にしたのだが、翌日にSNSで「子供が喜んで観て、ウルトラマンの最後に涙していた」という投稿を目にして、ふと思った。1966年に生まれたウルトラマンのオリジンが、55年経った今でも子供たちを喜ばせる。それはそれで、よい落とし所だなと。

「シン・ウルトラマン」を観るのは、ぼくらのような特撮世代ばかりではない。作り手たちが意識しているかどうかはわからないが、結果的にマニアにも子供にも喜ばれる最大公約数的な作品となった。庵野・樋口コンビは、ウルトラマンという普遍的な価値を、世代を超えて伝える伝道師としての仕事を全うした。

と、ポジティブに受け入れることにしよう。

ぼくが観たTOHOシネマ六本木ヒルズ20時の回は、ぼくと同じ世代であろう(場所柄)オシャレなおじさんたちが一人で観に来ているのが、なんとなく微笑ましかった。

同志たちよ。

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