BLOG - 蔡 俊行(フイナム発行人)

TUBE GARAGE SALE

 編集の仕事をする前はファッションメーカーで働いていた。商品企画をサポートするアシスタントのようなもので、そのデザイナー兼社長の直下であれこれ知識を学んだ。展示会前以外は、仕事自体そこまで忙しくもなく、先輩たちもいい人たちでのんびりとした会社員生活を送っていた。あることがきっかけでこの会社を辞めることになって、時間ができたのでバックパッカー生活でもしようとしたところひょんなきっかけで雑誌作りの世界に足を入れることに。

 人生を変えてくれた人、あるいはきっかけを作ってくれた恩人という人がいる。ぼくの場合、この社長とKさんともうひとりのKさん。ふたりのKさんについては、いずれこの欄で書くかもしれないし、書かないかもしれない。でも今日はこの社長の話。TUBEの斎藤さんだ。

 Commune連載「スタイルの履歴書」の第一回目をお願いしたのもそんな理由から。

 ぼくが斎藤さんについたのは80年代の冒頭。バブル前夜のそわそわした時代であった。

 アトリエは原宿の奥の方。UAの本店を外苑西通りに向かって歩いていった右側の古いアパートメントだ。ここに斎藤さんがいて、他スタッフ(自分も含む)は二軒隣のマンションの地下のオフィスで作業していた。このアトリエがすごくかっこよくていずれ自分もこんなスペースで働きたいと憧れたものである。

 基本、会社を大きくしようとか、売上を上げようとかそういうことを考えない人で、コツコツとクールな提案を世に問うようなものづくりが信条であった。しかし時代である。売上はどんどん上がりスペースも人も足りなくなり、ついにこのアトリエを引き払い、新しいオフィスへと移転する。同時に直営店もオープンすることに。それが南青山6丁目の現在のアトリエだ。最盛期にはこの3階建てのビルの1~2階を全部借りていたが、いまはかつてのお店であった場所を仕事場として使っている。

 あれから何年経ったのだろう。ついにこの物件が建て替えになるようで、斎藤さんが追い出されることになってしまった。これも時代の流れと言ってしまえばそうなんだが。

 年齢を考えるともうリタイアしてもいいはずなのに、まだまだ息盛ん。で、新しい仕事場を準備しているという。そしてこの転居を契機に、これまで世界中のフリーマーケットで集めてきた古着やガラクタを一気に放出するという。古本やレコードも。

 プレミア価値などをあまり気にしない人である。とてつもないものがとんでもない安価で平然と並べられているかもしれない。

 というわけでこの週末10月26日(土)〜27日(日)の二日間「TUBE GARAGE SALE」が開催される。どんな大騒動になるか見当もつかないが、覚悟を持って列に並んで欲しい。

 ロレックスのポールニューマンのデイトナ、でないかなあ。

 

 

 

 

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