技能の評価には、うまいかヘタかという尺度もある。サッカーがうまいとか、水泳がヘタとか。このうまいヘタというのは、練習という訓練を積めばある程度の向上が期待できる。しかし誰もがリオネル・メッシや大谷翔平になれるわけではない。それぞれに天井がある。それは個体差とも言える。恵まれた体格や運動神経を先天的に獲得できたものとそうでない者、これは差別ではない。いかんともしがたい個体差があるのか生き物だ。これに運やタイミングなどが加わる。
スポーツ界は勝敗とかスタッツなどの数値があるのでうまい・ヘタの基準が明確だ。
これが文章やデザインのような分野ではどうだろう。なにせ数値化ができない。さらに勝敗の判断も困難だ。しかし評価しようとすればできなくもない。好悪で判断すれというのも一つの手だ。しかし100メートルを40秒で泳ぐ人と1分以上かかる人のような分かりやすい優劣の付け方はできない。
こうした文化的技能の評価を言語化するのがとても難しい。例えばデザインのうまい・ヘタはどう表せばいいのだろうか。いいデザイン、いまいちなデザイン。どこがダメでどう直せばより良くなるのか。もちろん熟練のアートディレクターなら可能かもしれない。しかし彼らはそれをどう言語化し、技能を高めるアドバイスをするのだろうか。
デザイナーや文章を書く人も練習すればある程度はうまくなれる。いつも言っているけどそのためにはインプットにつぐインプット。見て聞いて読んで観る。仕事をしているだけどうまくなれるとみんな油断しているけど、それじゃあダメなんだよね。