若い頃、といっても20代か、突如淡水魚を買うことにした。というより撮影で買い取った淡水魚をそのままうちに連れてきたわけだ。当時三宿にあったハイパーメディアクリエーターが住んでいたマンションの一階が熱帯魚店で、そこで水槽やら一式買った。
子供の頃も家に熱帯魚はいたので、餌のやり方とかわかる。しかしもらった淡水魚の群れに違う淡水魚を一匹入れたら元の魚はあらかた食われてしまった。そういう知識はなかった。こいつが殺人鬼だなんて。まあそんなで日毎に知識を加えながらアクアリウム生活は続いていくのであった。
しかしある時、なにかのきっかけで空気送るポンプの電源が外れてしまってそれに気づくのが遅れ、魚が全滅してしまった。泣いた。
でも同時になぜ水の中に酸素を送らなくてはならないのだろうという疑問が浮かんだ。ぼくら人間は水の中では呼吸ができない。つまりそこに酸素はないのではないか。
しかし魚が水中で生きていくには水の中の酸素濃度というのが大事で、ただ水槽に水を張っているいるだけでは魚は息ができない。適正な酸素濃度でないとやつらは酸欠を起こすのだ。
さらにポンプで空気を送ることによって、水槽内の水が動かない場所、止水域というのだそうだが、そこに酸素が供給されづらくなる。なのである程度水流が必要で、ポンプの空気はそれを助けてくれるというわけだ。
なんかこれ、仕事や組織にもあてはまる。
水流の滞留している池に住んで酸欠を起こしがちな人たちを元気づけるために、池をかき回してあげたい。というかそういうかき回す人って必要だな、なんて改めて考えている次第です。
草津の湯のゆもみのような要領で、うちの会社もかきまわしてみようかな。