BLOG - 蔡 俊行(フイナム発行人)

銃・病原菌・鉄

ジャレド・ダイヤモンドの「銃・病原菌・鉄」という本がある。ずいぶん前に出版されたものであるが、いまのコロナ問題を理解するために書棚から引っ張りだしてまた読んだ。どんな本でもそうだが、重ね読みすればするだけ理解度が上がる。

結論からするとやはり面白いの一語に尽きる。どうしてオーストラリアのアボリジニはヨーロッパを植民地にしなかったのか? どうしてコンキスタドールたちに高度なインカ文明は勝てなかったのか? その理由が深く深く考察されている本である。

ホモサピエンスは狩猟採集生活から定住生活に移り、そこで家畜を飼う。なぜシマウマが家畜にならなかったのか、あるいはアメリカのバイソンは、というくだりなどはまさにエキサイティング。いずれにせよ、この家畜から人に病原菌が感染し、何百年もかけて免疫をつけたヨーロッパ人が、大航海時代に新大陸で現地人に病気を移し多くの命を奪ったわけである。

生来、そういう菌に免疫を持っている者もいて、適者生存のダーウィニズムの法則に則って今日の人類は生きながらえてきた。このたびのコロナもその長い歴史の一ページである。

 

そんな病原菌にやられっぱなしの世界経済である。我々は基本ネット媒体なので、むしろチャンスとも言えなくもないのだが、タイミング悪く、本日が書籍版フイナム「フイナム・アンプラグド」の発売日である。ただでさえ明るくない出版業界。書店からも人が遠ざかっている最中、ちょっと肝を冷やしているところであります。

なのでなんとか手に取ってもらおうと、ぼく自身が寄稿した「代官山通信 第11回」の文をここに転載します。すこし長いけど読んでください。「銃・病原菌・鉄」よりもぐっと短いんで。

フイナム・アンプラグドのブログにも同文を貼り付けておきました。では。

 

第11回 コモンセンスはメイクセンス? 

 SNSが現れたときに、言論はフラット化していくだろうと言われていた。肩書きや組織、そして権威に左右されず、誰もが自由に意見を発信できる。誰が言ったかではなく、何を言ったかが重要になると。

 果たしてどうなんだろう。どうも予想とは違う方向に来ているような気がする。

 むしろ、同じような偏った考えを持つ人たちが狭い分野での言論をエコーチェンバー内で繰り返し、それが精製され毒製の強い劇薬のようになってきているのではないか。世界で勃興している、極右的な政党や政治家への支持を見るとそう見えて仕方ない。

 さらにSNSはノイジーマイノリティ問題も加速させている。声高な小数派とでも言えばいいのだろうか。企業のCMなどにクレームをつける人々のことである。

 以前は特定の企業やメディアに直接電話や郵便物などで意見していた人たちが、いまではSNSなどで意見を発信する。好むと好まざるとにかかわらず、メディア側はその声に忖度せざるを得ない。

 悪い人たちのパーティで営業したり、不倫をしたタレントさんをテレビが遠ざけるのもそうした層を刺激したくないからだ。しかし彼らは倫理的にはともかく法律は犯してない。世界は不寛容になり過ぎではないか。安全なところから正論だけを振りかざし、けしからん、と言って溜飲さげてる人たちは本質的に一体何に不満を抱いてるのだろう。

 ダイバーシティやLGBTQといったポリティカルコレクトネスも世界を席巻している。今年のアカデミー賞では、最高の栄誉である作品賞を韓国映画「パラサイト」が受賞した。もちろん受賞に価する傑作だったが、見方によればこれもそうした世の流れから特に注目を集めたといえるのではないか。2016年の「白いアカデミー賞」の翌年、アフリカ系アメリカ人のゲイを描いた「ムーンライト」が作品賞を取ったほどあからさまではないが。

 なんだか息苦しい世の中である。あれもダメ、これもダメ。

 Netflixが配信した「全裸監督」は、世界的に多くの視聴者を集め話題になった。地上波では流せないが、オンデマンド配信だからできた企画だ。

 世の中やってはいけないことばかりだが、抜け道もある。今号の企画はそういうことから決まった。

 しかし後日営業チームから相談があり、一部のクライアントさんたちから評判が良くないと聞かされた。企画趣旨は分かるんだけど、会社のコンプライアンス的に「してはいけないこと、しよう」なんて企画に広告を入れるのは難しい。タイトル、変えてもらえないでしょうか、と。

 確かに犯罪行為を助長するような企画であれば仕方ない。しかしぼくらはこの何もかもが規制されているようなこの閉塞感を打ち破りたい、そして合法的な範囲内で胸のすくようなことができないかという狙いでこの企画を考えたわけだ。もちろんクライアントさんあっての雑誌である。なるべく意向には添いたい。

 でもね。考えてみるとこの雑誌不況のさなか、彼らも出稿を断る口実を探しているのではないか。一緒にこの企画を盛り上げてくださるクライアントさんも他にはいるわけだから、ここで自己規制してしまえばこちらの負けだ。

 変にタイトルをごまかして広告を取るよりも、たいした影響力ではないけれど、世の中にかすり傷くらいはつけたい。負け犬だって遠吠えする。そう考えて企画を進行させた。

 ナップスターが騒動になった時代、音楽をサブスクリプションで聞くなんて誰が想像できただろう。でも彼らがしてはいけないことをやったからこそ、今日の便益をみんなが享受できる。

 アメリカはいまでも公共の路上や公園での飲酒はご法度。イスラム教はいうに及ばずだ。ドイツやイタリアの高速道路では最高速度が無制限。オランダやスイスでは尊厳死や安楽死が認められてる。

 してはいけないことって一体誰が決めているんだろう。

 

 

 

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