「スタイリストブランド」ってジャンルがいっときブームになりました。2000年代に入ってすぐくらいかな、メンズスタイリストが雑誌にバンバン登場して自らのオススメを紹介するとそれが即完!で、その流れで今度は自分でモノ作りも始めてこれまたバカ売れ!みたいな現象のことです。こうして書くと僕自身はその風潮をメッチャ批判して楯突いているように感じるかもしれませんが、全然そんなことはなくて。前に記したようにMADE IN WORLDの立ち上げに参加し、そのままディレクションもやっていたので服を作ることはどちらかと言うと肯定派でした。ただ元々服作りに従事していた専門の方からは「素人丸出し」「ありモノのTシャツにプリント入れただけ」「自分で作って自分で雑誌に出たらそりゃ売れるでしょ」と散々な言われ方をしていたのもまた事実です。
当時僕はMADE IN WORLDのオリジナルブランド『KNOT』の企画にも加わっていました。ちなみにブランド名は当時のコアメンバー(小島、中田、小沢、田中)の頭文字を繋げたもので、言わば合議制の元でアイテム作りをしていたというわけです。それに対してスタイリストブランドがどんどんと台頭していくのを横目で見ながら、自分的に満足のいく服作りってなんだろう?と模索するようになっていきます。さらにKNOTが人気ブランドになるにつれてよりストリート&ベーシックなテイストが強くなり、それも頭の片隅に引っかかっていました。
そこでブーちゃん(※わたしも履歴書⑦ ⑧を参照)に相談して、より自分の感覚を活かせるブランドを手掛けさせてもらったのが『Numero Uno/ヌメロ ウーノ』です。ちょっと話は飛びますが、よく新たにブランドを立ち上げた人が取材を受けて「自分が着たい服がなかったから始めました。」なんて答えてるけど、正直あの手の発言にはうんざりします。だってほんとに着る服がないなら裸で過ごすしかないじゃん、って思うから。揚げ足取りをするわけではないけれど、もう少し語彙の豊かさや戦略的なことも含めて語って欲しい、といつも思ってしまいます。
だからヌメロ・ウーノはもっとコンセプトをあらわにして、しっかりしたモノ作りをしたかった。世間が揶揄するスタイリストブランドではなく、本来のスタイリストの役ドコロである「何をどうピックアップしてどのように組み合わせればセンス良くカッコ良く面白く見えるのか」というところに重きを置いたブランドにしたい、という思いで2003年の秋冬シーズンにデビューしました。ファーストシーズンのテーマは『EVERYDAY PARTY !』読者の方はまだ狂乱の時代を引きずってるのかと思うかもしれませんが差にあらず。今もそうですが、パーティーウエアに代表されるような『ハレ』の服を普段着にするのがすごく好きで、トロピカルウールでGジャンを仕立てたりグルカパンツのウエストの仕様をアレンジしてカマーバンドみたいに使えるタキシードパンツを仕立てたり、そんなコレクションを作り上げました。
後はユーモラスさやチャーミングさを加えたくて『ラブスカル』という目がハートマークのキャラクターをタグに入れました。結果、それなりに反響がありBEAMSやユナイテッドアローズといった大手のセレクトショップで取り扱いがスタートしました。当時は自分なりに良いキックオフがきれたと満足した覚えがあります。
ただどうしても自分がスタイリングするページで自分のブランドを使うのは抵抗があった。世間が文句言ってる通りの展開になってしまうから。実はブランドをスタートした直後にUAの栗野さんにもこう言われていたんです。「小沢さんのブランドは、あえて自分のスタイリングでは使わない!って決めたらどう?」って。きっと世間が思うスタイリストブランドに対する栗野さんなりの実にストレートなアドバイスだったんだろうな、って今なら思えます。
そんなモノ作りが佳境を迎えていくわけですが、そのお話はまた次回に。