まるで破天荒な日々を過ごしていたように思われるかもしれませんが、僕は御供さんのアシスタントがメインの仕事。もちろん広尾三丁目のTOOLSの事務所、東銀座のマガジンハウスを主戦場に昼夜を問わず働いてました。その合間というかわずかな時間にねじ込むようにクラブにも通っていたというわけです。現在のナイトシーンのことは全く分かりませんが当時はファッションとカルチャーと音楽がもっと近いところにあった気がします。けっして昔が良くて今がダメだと言ってるわけではないので勘違いしないでくださいよ。つまり昔の方が選択肢が少なくてもう少しシンプルな関係性だった、と言いたいのです。DJも本当の専門職というよりは昼間は洋服屋とか美容師とか。先輩スタイリストの島津さんとか井嶋カズさんとかもよくTOOLS BARで廻してましたから。『わたしも履歴書②』に登場したレストランで共にバイトしていた友人もその後有名なDJになりました。UFO(ユナイテッドフューチャーオーガニゼーション)の矢部直さん。当時はいっしょに皿洗いしてたのに、いつの間にか僕は御供さんに、矢部くんは桑原茂一さんのアシスタントに、と望み通りの道を歩んでいました。人生って分からないものですね。
さて話をオサムに戻します。流れ流れて(この言葉がこんなに似合うヤツもいない)いつの間にか代官山というか並木橋のクラブで働いてました。名前は『アースホール』。地球の穴なのかケツの穴なのか?とにかくエリア的にはクラブ未開拓の地であり、お世辞にも流行っているとは言えない空間でした。だからこそヤツも仕事が続いたのかもしれません。お客は身内がメインで逆に僕らにとっては居心地の良い場所でもありました。ビールは自動販売機、ピンボールマシンだったかアイスホッケーの遊戯だったかがあり、身内同士でじゃれあって遊んでいたような感じ。深夜3時には客が一人もいなくなるので早仕舞いして他のクラブに繰り出したりしてました。
ところで、今となっては時効ということで寛大な気持ちで読んでいただきたいのですが、当時は今ほどエントランスでのIDチェックがなく、高校生もクラビングしていたようなおおらかな時代でした。とは言えあまり大っぴらに遊んでるとスタッフからも目をつけられるので、知り合いが働いている店でごまかしつつ夜を楽しんでいた都会の高校生たちをたまに見かけることもありました。『アースホール』も御多分に洩れずそんな高校生軍団がいました。お店の関係者の弟が当時高校生で同級生たちとたむろしていたのです。5、6歳歳下の彼らとは自然に仲良くなり、約束までしてみんなで『ゴールド』に遊びに行ったりしましたね。さすがに高校生がサラッと『ゴールド』には入れないから僕らの連れってことで入れてもらったというわけです。
そんなたわいのない付き合いの中から、これまた僕の人生を新しく切り開くことになる出会いが起こるのですが、それはまた次回にさせていただきます。
最後の最後に「オサム」のエピソードを。当時付き合っていた彼女がジャマイカに旅行した時のこと。どこのホテルに泊まっていたのかも聞かずに送り出しておいて急に彼女に電話しよう!と言い出して、1万円を全部100円玉に両替してキングストンだかモンティゴベイだかのホテルに片っ端から電話をしだしたことがあった。厳密にいうとその電話を僕がさせられるハメになった(なんで?)。何件も電話しまくったあげくに本人と繋がる奇跡が!!彼女は「どうしたの?」って驚いたけど「ただ声が聞きたかった。」って言われた日にゃあメロメロですよね。これが人ったらしの真骨頂だなって感心したことを妙に鮮明に覚えています。
結局あまりの破天荒な日々に彼女は疲れ果て、最終的には盛岡から親御さんを呼び出して強制送還されてしまった。その後も何度か「パチンコで大勝ちしたから東京行くわ」と謎の電話と共に会ったりしてたけど今では全くの音信不通。いかにもヤツらしい終焉でした。
ハイッ!ってことで次回をお楽しみに。