僕が大学3年生になった1985年、とうとう憧れ続けた御供さんのアシスタントライフがスタートします。ところがそのハードさは想像を絶するものでした。ルーティーンはザッとこんな感じです。
朝、代官山にあった御供さんのマンションかTOOLSの事務所で待ち合わせ。モノ集めや取材で1日中街をグルグルと。順調に進んだら夕方、東銀座のマガジンハウス、ポパイ編集部へ。そこから仕事というより雑談?サークル活動?のノリでスタッフとの会話が始まります。今だったら絶対にあり得ないけど、当時のポパイ編集部は午前中どころか午後の3時くらいまで誰もいませんでした。学生バイトがいるかいないか、ぐらい。本当の意味でのフィールドワークが行われていたってワケですね。夜が更ければ更けるほど人は集まり、人が集まるほどにアイディアが飛び交い、それがやがて企画となってページが作られる、という理想的な循環が行われていました。
僕なんかペイペイですからポパイオールスターズのグルーブに身を委ねているだけで「ファッション酔い」というか「雑誌酔い」しちゃうんですよね。それがまた心地良くて。でも所詮はアシスタントですからそんな快楽に浸っている余裕なんてありません。終電前からが僕の仕事タイムです。
なぜってTOOLS BARに行かなきゃいけないから。とにかく流行りまくっていて入場待ちの列が数十メートルなんてザラ。プロパーのスタッフは入り口で手にスタンプを押して(再入場できる印として)エントランスフィーを受け取って・・・という流れ作業ですが、その脇に僕が立っているワケです。なんの為かって業界人の顔パスを判断する係だったから。今も昔も『業界人は行列が嫌い』なんです、当たり前だけど。入場待ちの一般客を横目に見ながら行列なんてガン無視してお店に入る優越感といったら。ただプロパーのスタッフは顔だけだと判別がつかないので僕(と先輩アシスタント)がその役目を仰せつかっていた、というわけなんです。
だから正直なところ、お店の連中とは仲が悪かった。だってホントなら入場料払ってもらえるところがタダだし、人によっては飲み物まで無料にしてあげてたから。でもそんな人たちが店の空気を作っていたのもまた事実なので、御供さんや近藤さんはそっちの方が得だと判断したんだろうなぁ。でもやがて、水商売とは無縁なノリのスタッフたちと徐々に仲良くなっていきます。今は写真家となったHさんや、その後BEAMSに入社したM山くんなど。中でも「オサム」は良くも悪くも僕を振り回し続ける、まさしく辞書で引いた通りの『悪友』として現れるわけですがその辺りの話は次回にさせていただきます。