僕がポパイで働きたい、というのはものすごく厳密にいうとこの人の元で一緒に仕事をしてみたい!という強い願望でした。
その人は御供秀彦さん。
スタイリストであり編集者でありライターでありモデルでもある、という僕から見たらスーパースターのような存在でした。この写真のポパイは僕が高校生だった1980年前後の号ですが、そこで表紙にまで登場しちゃう御供さんに憧れまくっていました。もちろんこんな地方出身の一大学生にコネなんかありません。正攻法に編集部に履歴書を送るという手もありましたが、スターが煌めくポパイに自分が採用される自信なんてとてもありませんでした。
ところで、当時はもちろんアルバイトをしていたのですが、それは表参道のシーフードレストラン「マンボウズ」のオープニングスタッフというものでした。プロデューサーは岡田大貳さん。「ダイニーズテーブル」「ブラッスリーD」「クラブD」といった東京の夜を彩るレストランのオーナーでありナイトシーンのフィクサー。それこそポパイやブルータスで見たことある人が経営するレストランで働けるということだけで、都会の中心に一歩近づいたような高揚感を感じていました。そんな勘違いと背伸びした思いが後押ししてくれたのか、少しづついろんな人との関わり合いが生まれていきました。いつか御供さんに会ってみたいという気持ちも日に日に高まり、図々しさと勢いだけでいろんな人のコネに頼りまくり、ある時まるでビンゴゲームの穴が一遍に全て開いたような感じで御供さんに会う機会が訪れました。
その時のことは正直あまり覚えていないけれど、手描きの名刺を渡した記憶だけは残っています。下手クソなイラストと名前と連絡先が入ったただの紙切れ。今思い返すとなんてダサいことしたんだろうと恥ずかしさが先立ってしまう、そんな思い出です。でも、もちろん御供さんから連絡が来るハズもなく。そりゃあそうですよね、だってポパイのファッションエディターの元で働きたいってヤツは比喩でなく五万といただろうし、その頂点が日本記録保持者なら僕なんか地方大会の決勝で敗退した選手、ってくらい雲泥の差があったから。
でも、本当に運命っていうか『引きの強さ』っていうのは存在するんだなぁ、と今でも思う出来事で僕は御供さんのアシスタントになったのですが、その話は次回にさせていただきます。