こんにちは。
せっかくブログという場を頂いたので
まずは自分の自己紹介も含めながら
振り返ってみようと思い、
“DAIRIKUができるまで”
というタイトルで書かさせて頂きます。
よろしくお願いします。
1994年夏、奈良県で生まれました。
お父さんは、映画とプラモデル、単車が好きで、子供の頃は映画館やレンタルビデオショップによく連れて行ってもらいました。
“入るなよ”と言われたお父さんの部屋と屋根裏に入って、よくプラモデルを触って、フィギュアの置き場所が変わってることでバレて、よく怒られてました
(プラモデルの部品を折ってしまった時はめちゃくちゃ怒られました笑)
単車にもよく父の背中にしがみつくように乗せてもらい、色んな場所に連れてって貰ってました。
お母さんは、韓国出身で僕に韓国語を教えてくれました。
家では毎日のように韓国料理を作ってくれました。一番大好きな味です。
小学校の頃は夏休み冬休みになると韓国に一緒に行って、韓国の祖父母の家で過ごしたり、祖父と山登りに行ったりと色んなところに連れてってもらいました。
その祖父との思い出が18ssのコレクションだったりします。
こう振り返ると、映画やアメリカのフィギュアが好きなのは全て両親譲りなんだなと改めて思ったりします。
6歳くらいの頃、家の近所には同い年くらいの友達がたくさんいて(わたるくん、はやてくん、しゅんくん、ようたくん)、小学生の頃は毎日のように遊んでました。
家でみんなでゲーム(64とゲームキューブ)したり、駄菓子屋に行ったり、みんなでプール作ったり、ケイドロをしたり、、、
stand by meの最初の秘密基地のシーンみたいな感じ
グーニーズの最初の家のシーンみたいな感じ
(この思い出がDAIRIKU18awの着想になりました)
そして16歳になり、高校生の頃、古着に出会いました。
高校の同級生で服好きで仲良くなった鎌田くんと一緒に人生で初めて大阪にあるアメ村(古着屋がたくさんあると聞いて)に行きました。
そこは今まで見たことない世界で、見たことない服と古着屋の匂いと感触の記憶が今でも忘れられません。
その日がきっかけで僕は服にのめり込んで行きました。
多分、好きなアメリカ映画の世界観とリンクしたからかな。
その日、人生で初めて買った古着が
“Patagonia”の赤いマウンテンパーカー
(しかもめっちゃサイズ大きい)
この思い出が、19awで展開させて頂いたマウンテンパーカーのサイズ感のイメージになりました。
その日から、高校の授業終わりは毎日のようにアメ村に行き、服を見てました。
毎日のようにアメ村に行ってると、アメ村にいる服好きの同い年の友達がたくさん出来ました。
その友達の中でも特に仲良いのがCONTENASTOREのスタッフをしてるソウイチロウ。(当時、彼は鋲ジャンを着て自分で作ったというクラストパンツを履いて、世紀末覇者みたいな格好でした)
そんな彼と、色んな古着屋や堀江にあるセレクトショップに行き、そこでDCブランドやインポートブランドを知りました。
当時は本当に知らないことだらけで、新しいブランドや見たことない古着を見つけるだけで楽しくて、服の話しだけで1日があっという間に過ぎていきました。
(今でも彼と話す時は服の話しばっかりです笑)
とにかく、アメ村で過ごし服だけを毎日考えてた日々が僕にとって”いつしか自分のブランドを作りたい”という気持ちが膨れ上がったきっかけになりました。 友達のおかげです。
それから、高校を卒業したら服飾の専門学校に行こうと決め、アメ村にあるバンタンという服飾の専門学校に通うようになりました。
一年生の頃は服を作る難しさに痛感しました。服以外にもしなければならない事がたくさんあるということを初めて知ったり、ミシンのセットに苦戦してました。笑
二年生の頃はとにかく自分で服を作る事に徹して5ルック作りコレクションを、その当時から”DAIRIKU”として学内でショーをしたのが懐かしいです。
三年生の頃は学校を卒業するということで”卒業”というテーマで10ルックくらいかな?作って、先輩(lianのカイさん)の大阪堀江のお店で展示会をさせて頂きました。
そして、この時に仲良くなり将来の夢を語り合った親友の井上樹(彼はフラワーアーティストとして活動してます)と上京することになります。
東京の一年目は東京バンタンで一年間通い、コレクションを作る授業を受けながら、上京した!という自分の心境もあり、田舎から都会へ行く少年をイメージしてコレクションを考えおりました。
“学生の頃作ったコレクションのイメージブックとNYでのスタイリング写真”
そして当時、Asia fashion collectionという枠の中でNYで合同ファッションショーをするキッカケを頂き、NYFWに向けて学校で服作りをしてました。
生地代がなくて、自分が好きで着てたブランドの服を泣く泣く売って、生地を買ったりしてた日々でした、、辛かった、、
ただ、このNYのショーからDAIRIKU全てのシーズンのスタイリングして頂いてる渕上寛さんとコレクションに向けてスタイリングを寛さんの家で一緒に話し合いながら決めたり、2017年2月のNYブルックリンの古着屋を回った時間は今でも忘れられないくらい楽しい時間でした。
NYは、まるでハリウッド映画で観てた世界にいるような感覚でした。
東京バンタンの一年間の授業も終え、NYでのショーが自分への大きな経験とキッカケになり、いつかDAIRIKUという自分のブランドで単独のショーをしたいという目標が芽生えて、学校を卒業してすぐに18SSのコレクションから自身のブランドをする決意に至りました。
”NYFW DAIRIKU17AW Backstage”
それから毎シーズン、たくさんの方に助けられ、展示会にて発表させて頂いております。
18SS”VACATION”
18AW”HOME KIDS”
19SS”A Grow Up”
19AW”American Dream”
20SS”Beachside Hotel”
20AW”New Hollywood”
21SS”Flower Children”
毎シーズン、映画のようにタイトルを決めて映画のようなワンシーンを意識して撮影に挑み、映画のようにあの観終わった余韻が残るコレクションを目指してます。
そして、映画を観たくなるような。
岡本大陸