BLOG - 松井明洋(MEDIA SURF COMMUNICATIONS / STOCKHOLM ROAST)

Future_01_2023/09(経験と責任は増え、そして感性は鈍る)

責任と感性について💚

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さてさて。前回のメールからだいぶ時間が経ってしまいました。

今京都から東京へ向かう新幹線の中でこれを書いているわけですが、今回友人チームの方々に、京都の色々をご案内いただきました。色々と京都の街や、物件を見せていただく&今考えていることを伺うのは非常に刺激的だった。

そして昨夜、皆で、Kontextのインタビューしたときに市耒さんがいっていた

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ぼくとマット(松井)って、やたら街でばったり会うじゃない? それも、均一化に抗ったようなバーやレストランでね。要は、一点モノの美意識で勝負している場所のほうが気持ち良くて、それは目抜き通りじゃなくて、いつも路地裏で起きている。トップダウンの開発から生まれる除菌されたような空間は人が集まりやすい場所にできるけど、除菌が行き届かない一点モノの菌がはびこっている場所への需要も同時に高まる。駅前を積層して平場の価値を上げ、容積広げて不動産としての価値を吊り上げるような都市再開発は、今の資本主義の中ではなかなか止められない。でも、渋谷で言えば円山町、百軒店、新宿で言えばゴールデン街、東東京の谷根千とか、横浜の野毛とか、面白い人が集まりやすいアーキテクチャの発酵はだれにも止められない。本当の気持ちのいいカルチャーは、ヒューマンスケールでボトムアップということをストリートは知っているし、ワインを出すにしても、メニューQRってぽんって渡されるのもあるけど、「今日はこんな気分だからオレンジナチュールを飲み比べてください」って言えるような店がはしごで飲み歩けるような街。そのあたりのミクスチャが一番面白いよね。
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というその話を大鵬でまさにオレンジワインの選択の楽しみを皆で堪能しながら話していたら、まさかのタクト本村登場。上記のような話が実証された瞬間でした。

話は変わりますが、少し前に、ベルリンに住んでいる建築家の友人と話す機会がありました。

彼女とここ最近のプロジェクトや、考えていることなんかをお互いにオンラインで話していたのですが、トピックにあったのが、これね。感性(美意識)と年齢のジレンマ。若い時(20代の頃とか)はとにかく趣味や文化的なもの、好きなことの中心に近づくことに努力つうかもう全てを注ぐわけですよ。新しい人やものやことに出会い自分の感性の貯金は増え続ける一方、寝る時間と銀行の残高は常に空。

ただ、年齢を重ねるにつれて。彼女の言葉を借りるならば「そこにResponsibilityがStep inする」と。つまり、レスポンシビリティ、いわゆるひとつの、「責任」ですね。パートナーや家族、仕事や会社の立場に対する責任がその美しいかつてのライフスタイルに足を踏み入れ、はかりがゆるやかに逆側に傾き始める。経験と責任は増える、けれど感性は鈍る。

その昔、立川談志が「上品とは欲望に対する動作のスローなやつのことを言う」(←これ俺好きな名言の一つね)って言っていたけども、それはもうあなた、年齢とともにセンスに対する反応速度もスローになるわけですよ。生き方は少しだけ上品、もしくはスムーズになるのかもしれないけども、文化の熱源からは離れていく。

昨日も京都の友人たちとも話し合った、そして京都に来るたびに考える、「何をもって美しいというのか。我々なりの美意識と感性とは」という、K5を創った時に正面から取り組んだ課題に、今一度、向き合うタイミングが来たのかな、とタクシーから夜の京都の風景を見ながら考えたのでした。

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