絶望と希望の話。
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前も書いたけども、結構いろんなところにノートや手帳やipadやevernoteやカード型メモ帳(京大式ね)やらそれはもう本当にあるわけですよ。一通り試したわけ。で、さっき何気なくノート開いたら、
『「絶望」という名前のBAR』
って走り書きしてあって、え?なになに?なんのこと?怖い!
とか思っちゃったのだけども、多分何度も東京もしくはどこかのまちの夜で絶望と向き合った(もしくはその状況を目撃した)ということを思い出して、もしバーをやるなら「絶望」って言う名前の希望に溢れるバーをやろう、と言うアイディアの書き留めだったと思うんだよね。多分。(…ぶっちゃけ自信なし)
翻ってよく考えるとそれこそ若い頃は終電逃したことに気づいて絶望したし、財布に残り数百円しかなくて絶望したし、飲み会で居場所がなくて絶望したし、フラれたし、それ以外にももちろん色々と大なり小なり色とりどりの華やかな絶望したわけよね。
希望のある絶望というものは若さに常に味方をしてきたわけで、本年41になる私におきましては、日々、純然たるプチ絶望なんかに向き合う機会も頻繁にあるわけですが、今年も物事の希望(的側面)を常に大いに評価していく姿勢をもってやっていきたいと思います。理想を言えば、我々は、現状維持を嫌い、普通になることを恐れて、自由に寛大にやっていきたいと思うわけです。
パンドラの箱の中に最後に残ったのが希望だったように、我々が創る「箱」=「場所」には、大してお金の匂いもはしないけども、ファンシーでもないけども、文化的な希望は常にそこにある、という状況を作っていきたいな、と思った今日この頃であります。
社会ではいろんなことが起きています。悲観的なニュースが目につきますが、「あのチームがやっている場所はいつ行っても何か良いよね」ぐらいのノリで和気藹々とやっていく感じも大事だな、このご時世2023、という話。
新年1発目のこのメールは2月になっちゃったし(遅れてすみません、少しだけ言うとすると、正直このメールはこの3週間ほど下書きに保存されていた。言い訳)、書き出し絶望についてだし、何書いてんだって話も東側の方からは俄かに聞こえてきそうな気もしますが、そこはご愛嬌。
今年もひとつ何卒よろしくお願いします。
松井明洋
AKIHIRO MATSUI
mediasurf.co.jp
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