未完成の美学、について❤️

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かなり昔、アメリカからスポーツブランドのフットウェアデザインチームが来ていて、インスピレーショントリップで日本中を一緒に回りました。彼らにとってのロックスター/ミューズは川久保玲さんであり三宅一生さんであり、津村耕佑さんだそうです。新しい価値観を提供できるか、という点においてそれをできる人はやはりどのフィールドにおいても少なく、先に挙げた3名は間違いなくそうだと思う、と言っていたのが印象的でした。

そして、じゃあ、ということで皆で津村さんに会いに行った時に彼が世界トップレベルのデザイナーに対して話していたトピックは「未完成の美学」でした。日本のポップカルチャーは常に未完成の中に美を見出す、という話で、例えば、日本の「カワイイ」というのは、西洋の美を完成されたそれというように設定した時に対抗案として、未完成だけどもなんかかわいい、愛おしい、みたいなその感情である、という洞察でした。ゆるキャラやヘタウマみたいなものはまさにそうでしょうか。

未完成であるということは言い換えれば、完成しない完成を目指して変化という名の海を泳ぎ彷徨っている状況であるといえます。そう考えると、常に変化を恐れず、停滞を拒み、思考を進めていくこと。その姿勢そのものが重要なのかもしれませんね。

当時そのデザインチームを率いていた友人とこの間電話で話したら、ブランドを去ることにしたと言っていました。コロナが起きて、今までぼんやりと見えていた、数字の合理性よりも大切なものが明確に見えるようになった、と。それは、結局全ては人のためにある、ということで、数字のためでなく、トレンドのためでもなく(どちらもそれはそれは当然大切だけども)、やっぱり人類のために靴をデザインしているということだと思った、と。そう考えると自分も別の選択肢をチョイスしたい、と。よりスモールスケールで数字と社内政治とは適度に距離を保ちつつ、その「人のために、人が中心のデザインをしていく」という目的に近づけるような場所でデザインをしたい、と言っていました。彼もやはり、変化の中に生きているだな、と思って嬉しくなった記憶があります。

世界は不安定で、信じられないようなことが今も起きていて目を覆いたくなるようなふざけた状況もあり、憤りを通り越して深い悲しみすら感じることもあります。僕らができることは変化を愛して、留まらずに前に向かうことですね。その集積で社会をよくすること、そして新しい価値を創ることを追い求めたい、と。独裁者が人類の反省と知性の蓄積をいとも簡単に踏み躙る今この瞬間においては空虚に響くかもしれませんが、変化の海を大いに彷徨ようこと。それしかないのです。

 

松井明洋 

AKIHIRO MATSUI

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