月一で、弊社より配信しているニュースレター。
何人かのスタッフでコラムのようなものを書いているのですが、先月分は自分が担当しました。
以下、転載です。
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観光したい。
モノ消費からコト消費という言説が随分前に世間を賑わせた。多分20年くらい前。そのときはあまりピンと来なかったが、最近は断然コト消費派である。旅行したり、美味しいモノを食べたり、サウナに行ったり、焚き火をしたり。そんなふうに、形に残らないモノに価値を見出している昨今なのだが、自分の行動を分析するに、もっとぴったりくる言葉を思いついた。
その名も“エモ消費”。感動というと大袈裟だが、心がコトリと動くようなことにお金と時間を使う消費行動のことを指す。これはいい言葉を編み出したぞと思ってキーボードを叩いたら、とっくにそれは存在していたのだった。がっかり。
どうやらZ世代を中心に広まっている価値基準らしい。モノのレベルが上がり、あらゆるシーンがコモディティ化していくなかで、感情的な満足度や精神的な充足感を重視するようになるのは必然と言えそうだ。涙活なんかもその文脈にある行動のひとつだろう。
なぜエモを求めるのか。みんな単純に疲れてるんだと思う。SNSから押し寄せる情報の波に、そして先行き不透明なこの世の中に。
「SBNR」という言葉がある。「Spiritual But Not Religious(宗教的ではないがスピリチュアル)」の略だそうだ。ふらっと寄った代官山蔦屋書店で平積みになったこの書籍をパラパラと見て、あぁこれは時代のムードを的確に捉えた言葉だなと唸った。

「SBNR」という概念が生まれたのはアメリカで、元々宗教が根付いている国だからこそ生まれたのだろうが、これを博報堂のストラテジックプランナーチームが「S=SOUL・B=BODY・N=NATURE・R=RELATIONSHIP」と、これ以上ないくらいのわかりやすい再解釈に成功している。
つまりは、モノよりコトだしエモだし、自然だよねということだ。うーむ、実に共感できる考え方である。仕事柄モノは買っているし、物欲もないことはないが、結局はモノによって心底満たされることはないということが、我々はすでにわかってしまっている。

ではこの先、迷える好奇心はどこへ向かうのかというと、それはもう観光なのである。観光をとにかく深掘りしていきたい。音楽家の細野晴臣氏と思想家の中沢新一氏が、1985年に著した『観光 日本霊地巡礼』をいまさら読み直しているが、八百万の神とか神道という言葉に自分が興味を持つようになるとは思わなかった。
スピリチュアルとかスピってるという言葉は、どこかネガティブな意味で使われることが多いのは事実だが、もうそういう時代でもないのかもしれない。ちょっとくらいスピってないとやってられないというのが、現代人の本音なのではないだろうか。

この夏、クルマで本州最北端の大間崎まで行ってきた。マグロで有名なあの大間だ。季節外れのマグロを何時間もかけて食べに行くという行為は、自分的には最上級のエモ消費であった。道中「恐山はこちら」という看板が何回も出てきたのだが、どうしてもそちらにはハンドルを切れなかった。なんだか恐ろしくて。スピリチュアルの道は険しく遠い。