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BLOG - フイナム編集部

「わたしたちはできない、をする。」…これを本日見た人は運命だと思ってください。

こんにちは。フイナム編集部の小林です。

この記事のタイトルの中にある「わたしたちはできない、をする。」ですが、気になりませんか?

こちらの秀逸な言葉は、劇団(?)「ジエン社」の演目でして、残すところ、2/16(日)13時と17時の回です。

演劇は、結局のところ見ないことには始まりません。

でもこのタイトルだけで、ごはん3杯くらいいけるくらい、いいタイトルだと思ったし、実際観てきたら、とてもよき演劇でした。そしてとても新しい現代的な演劇を目撃できたと実感しています。

内容は、靴紐を結べなかったり、人の名前を覚えることができなかったりする、「できない人たち」を集めた園によるお話でした。ちょっとだけネタバレしてしまうと、劇中では同じ人物をいろいろな人が演じるという形式が取られているんですが、それも含めて演出意図が非常に腹落ちしました。

今回、オスカーを獲得したポン・ジュノ監督の「パラサイト」でもそうですが、形式と表現意図がばっちりはまる気持ち良さというのは、最高の体験です。

ジエン社は、山本健介さんという方が構成演出を手がけていますが、昨日のアフタートークでの話ぶりを観るに、とても頭がよく、個人的には、濱口竜介監督とどことなく共通性を感じます。

まだ席に余裕はあるとおっしゃっていたので、もし今日なにも予定がなければ、おすすめです。

そして、同じく本日終了の展示が、渋谷パルコでの奥山由之×edenworks「flowers」です。

飛ぶ鳥を落とす勢い、泣く子も黙る…慣用句はなんでもいいんですが、今もっとも注目すべき写真家のひとり、奥山由之さんの展示も本日までなんです。

自分も滑り込みで本日、目撃してきます!

 

最後に、ジエン社の「わたしたちはできない、をする。」のストーリーを貼り付けて終わりにしますね。

以下、HPから抜粋ーーーーーーーーーー

できないことを、できないままにしてしまって、
できると思っていたことは、どんどん遠ざかっていく。
一方で、それができてしまった時、わたしは、
できなかった頃のわたしに、二度と逢えないんだろうか。

× × ×

わたしたちはできない、をする。日々している。わたしたちはできない。できないのに、そこにいる。
できない人達による相互互助を目的としたこのセンターに、比較的年齢の若い人々が集まっていた。
仮にここを、「できない園」と名付けてみようか。

「できない園」は、本来は自由に居る事ができる。また本人の意志で、今すぐここから居なくなることもできる(基本的人権のため)。通いの人もいるが多くは住み込みで。自分のできなさを他の人に見せたり、見せなかったりしながら、そのできなさを、「できるようになる」か、「できなくてもいいようにする」か。
とにかく「この状態ではないよう」にするために集まり、ここにいる。

たとえば彼は、傘をさすことが出来ない。
たとえば彼女は、定食の小鉢を、バランスよく順番に、少しづつ、を食べる事が出来ない。
あそこにいるあの人は、歌を歌うことはできないが、『身内相手に米津玄師の歌を歌う』ことはできる、という。
そして遠くいるあの子は、彼氏が出来ない。彼氏が出来なくて、彼氏の作り方を尋ねたり、調べたり、ここで、毎日。そのうち、何もしなくなり、施設内でもっとも日の当たる、あの場所に、ただ居るようになった。

今日はその場所に、佐藤君がいた。

「できるようになりましたか?」
「……ないです」
「ない?」
「ないです」
「できることが?」
「嘘、つく必要ないじゃないですか」

わたしが担当している佐藤君は、よく「ないです」と言う。
(ちなみに佐藤と言うのもあだ名で、ここでは皆に特に名前を言う必要ないから。正直誰が誰だか、本当にその名前が正しいのかすら分からない。ハンドルネームみたいな奴もいる。なんたら帝国、とか)
彼は、さまざまな事ができない。それを佐藤君自身は、わかっているのかどうか。彼を「複合型のできなさ」とも言う人がいるがそれ、誰が言っているんだか。

わたしはそのできなさに対し、できるようにさせるような資格も技術もない。ただ週に一度、彼の話を聞き、報告書を作る。そして上の人……上の人って誰だ……? 誰にかわからないが、わたしの書いたレポートは、誰かに読まれる。
だが、彼の話を聞くのは難しい。会う事だってできない事が多くて。何週か「面談実施せず」の報告が続き、そろそろ報告書をまとめたいと思っている。

「ないです」
何がないの?
「ないです」
それはなにが? できることが?

佐藤は不意に立ち上がり、わたしには出来ないような綺麗な早足で、日の当たる場所から去った。

待って。

声をかけようとするけど、それはできない。わたしにはできない人に、待てと命令する権限はない(基本的人権があるため)。

じゃあ、わたしはどうすれば、佐藤君から、佐藤じゃないかもしれない君から、話を。
なんの話を?

わたしは、佐藤君かもしれない人と話をすることが、まだできない。

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