BLOG - 岡田哲哉(グローブスペックス 代表)

グローブスペックス以前の話。

私は1980年代の前半にメガネ業界に入り、大手の会社で国内外の店舗で勤務しながら経験を積みました。20代後半にその会社のニューヨーク支店へ異動となり、そこでディスプレイ、接客方法、品揃えなどに工夫を凝らして店舗を運営した結果、非常に多くのニューヨーカーが集まりだし、売り上げは倍増しました。そこで初めてメガネをファッションや自己表現の強力な味方として、メガネの全く新たな可能性が作れることを実感したのでした。

30歳で二番目の会社に転職をしました。こちらもメガネを販売する大手の会社で23歳の時に銀行勤務からの転職を試みたものの中途入社を受け付けてなく、その時は入社できませんでした。他社で経験を積み、国内外の専門資格も取得したことで、二回目のチャレンジで入社が叶ったんです。

この会社では初めの一年だけ店舗で勤務しましたが、二年目から本社勤務となり社長室室長というポジションで仕事することになりました。社長のアシスタントを務める、海外のブランドとの折衝などを請け負う仕事だったのですが、初めてその会社の社長から命ぜられた仕事は「このメガネをよろしくお願いします」でした。

「はて? このメガネをよろしくお願いしますとは…?」と考えましたが、日本で認知させ軌道に乗せてほしい、という意味なのだろうと解釈しました。

そのメガネは今でいうデンマークの「リンドバーグ」社のメガネで、当時「AIR TITANIUM」と呼ばれていました。針金を曲げただけの様な見たことのない構造で、異様なほど軽いメガネでした。

調べていくと、そのメガネはデンマークのとある建築事務所が考案したデザインであることが分かりました。青山にその日本オフィスがあることが分かったため、この奇妙なメガネについて話を聞きに出向いてみました。

すると分かってきたのは、このメガネはそのデンマークの建築事務所の責任者が自分が掛けるメガネとして考案したこと、そしてその責任者はデンマークのミッドセンチュリーデザインを代表するアルネ・ヤコブセンの直径の弟子だった方で、ヤコブセンの建築事務所を引き継いだ共同経営者の一人だったのです。ハンス・ディッシングという方です。デンマークから派遣されてきた女性建築士が「コペンハーゲンのオフィスに行ってディッシングさんに会って話を聞いてみたら?」と勧めてくれました。

社長にその経緯を説明してコペンハーゲンでハンス・ディッシングさんに会って話しを聞いてみたいと伝え、デンマークに行くことになりました。

自分が31歳の時、初めての北欧行きでした。コペンハーゲンはコンパクトな首都で、空港から中心部まで比較的近い街です。街中には運河が張り巡らされており、かつては多くの物資が船で運ばれていたことが見て取れました。アルネ・ヤコブセン直系の弟子たちが運営するオフィス「DISSING + WEITLING」もその様な運河沿いにあり、運河に面した建物とその目の前の運河に係留されているサンデッキ付きの船も自然光が差し込むミーティングルームとして使われていました。

ミッドセンチュリーを代表する建築家でありプロダクトのデザイナーだったアルネ・ヤコブセンの直系の弟子が、日本から来たメガネ業界の若造など相手にしてくれるのだろうか…とドキドキしながら訪ねましたが、驚くほど歓待して下さり、オフィス内を隈なく案内しながら、これまで手がけてきた建築物や家具、照明などを説明してくれました。

「DISSING + WEITLING」はハンブルグの「IBMビル」や「イラク中央銀行」から巨大な橋とトンネルからなる通行路、はたまたデンマークの田舎にある家のリノベートなど、多岐に渡る建築やデザインを手掛けていました。師匠のアルネ・ヤコブセンがコペンハーゲンのSASホテル(スカンジナビア航空のホテル)を請け負った際には、ホテルの建築だけでなく内部の照明や家具などもすべてデザインしていました。アルネ・ヤコブセンの家具は今でもロングランの人気デザインとして継続生産されているものもありますが、大学やホテルなど大きな建造物に合わせてデザインされたものも多いのです。

コペンハーゲンの運河に面した古いウェアハウスを改装した「DISSING + WEITLING」のオフィスビルに加えて、目の前に停泊しているサンデッキ付きの船もミーティングルームとして使っている。

ミニマリズムを体現して建てれた「DISSING + WEITLING」の建物。

「DISSING + WEITLING」が請け負い、環境への配慮を徹底して完成された全長18kmの橋とトンネルからなるデンマークの「Great Belt Link」。

ディッシングさんから受けた説明として、これらの建築、インテリアや照明のデザインに一貫している思想は「ミニマリズム」だといいます。それは無用な装飾を一切省き、機能性を追求して生まれる機能美こそが一番美しいデザインになる、という考えでした。

ディッシングさんが自分で掛けたいメガネとして考案した「AIR TITANIUM」も「ミニマリズム」のデザイン思想に基づいて作られていました。

(1)ネジやロウ付など金属同士の接合を一切使わない。そのためネジの緩みや接合部分のロウ離れなどに煩わされることなく使用できる。

(2)純チタンの中でも最高グレードの素材を使い、その超軽量、耐腐食性と耐アレルギー性、優れた柔軟性とバネ性を最大限に生かす。

(3)直接接触する鼻あての部分と、耳に掛ける部分には医療用シリコン素材を用いて肌に優しく、しかもズレ落ちにくくする。

といった目標を最小の構造と部材で実現していたのです。

しかもただシンプルなのではなく、確かに無駄を一切削ぎ落とした美しい佇まいをも実現していました。ディッシングさんは先達の著名な建築家たちが丸メガネを好んで掛けていたのに倣って、ご自分もメガネを掛けるなら「丸メガネ」と決めていたそうです。

日本から来た31歳の名もない若者に対し、一日かけてアルネ・ヤコブセンから引き継いだデザイン思想を様々な建物や、付随してデザインした家具や照明を通して教えて下さり、同様の思想に基づいて生み出した「AIR TITANIUM」についても丁寧に説明して下さいました。

そのデザイン思想を理解し、これまでのあらゆるメガネとも異なる発想をもって生まれた「AIR TITANIIUM」の真価を知り、何としてもこの素晴らしい価値を日本で多くの人に知らせるべきだ! と思いました。

帰国して社長に報告し、どの様に日本で「AIR TITANIUM」の価値を知らしめて行くべきか相談したところ、デンマーク大使館にも話した方が良いのでは? ということになりました。

早速デンマーク大使館の商務部にコンタクトし、相談しました。アルネ・ヤコブセンのアリンコチェアなどの家具やフリッツハンセンの照明器具など、著名なデザイン製品が多いデンマークなので、大使館の商務部もデンマークデザインの振興には積極的で、初めてのコンタクトでも親身になって相談に乗ってくれました。

その商務部の方もアルネ・ヤコブセンの直系の弟子の方が考案したメガネであること、考案に当たってデンマークが大切に考える「ミニマリズム」の思想が非常に分かりやすく、しかも美しく表現されているメガネであることに感動され、真剣に私の相談に乗ってくれました。この方とは非常に仲良くなり、今でも「グローブスペックス」のお客様として店に来てくれています。

その方のアイデアで、通産省が主催しているグッドデザイン賞に応募してみることになりました。通産省と日本のプロダクトデザインの大家の方々が審査するグッドデザイン賞でその価値を認めてもらえれば、多くの方々にこのメガネの素晴らしさを伝えることができる、という発案です。

グッドデザイン賞への申請を確かな内容で行うために、そのあと二度ほどコペンハーゲンにある「DISSING + WEITLING」のオフィスに行き、また何度となくファクスでやり取りをし(1991年当時まだEメールは普及していませんでした)、グッドデザイン賞の申請で最大限「AIR TITANIUM」の価値をアピールすべく尽力しました。

当時はPCもあまり普及してなく、申請書類はすべて手書きの原稿と紙焼きの写真で作りました。自分としてはディッシングさんたちの思い入れはすべて伝えることのできる書類になったと思います。

グッドデザイン賞への申請を行ない一ヵ月ほどが過ぎた頃、残業をしていた時にファクスが届きました。そこに書いてあったのは「1992年度グッドデザイン大賞受賞」の文字でした。初めはグッドデザイン大賞の受賞がどの様な意味を持つのか理解できず、ただ上司である社長に「社長、グッドデザイン大賞とかいうものを一応受賞することができました」と言った感じで報告した覚えがあります。

後日、それがとんでもないことであることが分かります。受賞製品3,000点余りの申請商品から982点がグッドデザインに選定され、リサイクル率が80%を超える車がサステナビリティを評価された「BMW」など13の部門賞でも多くの素晴らしいデザインや工業製品がありましたが、それらすべてを押さえての大賞受賞の快挙でした。

1992年度グッドデザイン大賞受賞の「AIR TITANIUM」と各部門賞受賞の製品たち。

「DISSING + WEITLING」のディッシングさんや共同経営者のヴァイトリングさん、製造を請け負っていた「リンドバーグ」社の方々にも来日してもらい、日経ホールで600人のデザイン関係者や報道関係者の前で製品説明と大賞受賞の報告スピーチを行い、私もスピーチの通訳として登壇しました。

グッドデザイン大賞を授与されたディッシング氏(左)とリンドバーグ氏(右)。

日経新聞の別紙一面全体に1992年度のグッドデザイン大賞受賞商品として掲載され、その後、数々の雑誌からも取材を受けて「AIR TITANIUM」は大ヒット商品になりました。私がメガネを紹介して行く際にメディアの方々との関係性を持って特徴や魅力を伝えるのはこれが初めての経験でした。この時に知り合いになった編集者やライターなどメディア関係者の方々とは長い付き合いとなり、のちに「グローブスペックス」を立ち上げた後にも多くのご支援をいただくことになりました。

写真上:グッドデザイン大賞受賞後に屋形船を借り切って、来日された「DISSING + WEITLING」の方々と製造を行った「リンドバーグ」の方々と受賞を祝福しました。写真中:当時32歳であった私。写真下:「AIR TITANIUM」を掛けたハンス・ディッシング氏。

その後、ドイツの権威あるデザイン賞であるiF賞や北欧のID賞を受賞するなど、ヨーロッパでも「AIR TITANIUM」の価値を証明して認知を深めるために各国のデザイン賞を総なめにしました。コピー商品も数多く出回り世界的なトレンドになりましたが、「AIR TITANIUM」はミニマリズムのパイオニアブランドとして確固たる地位を築きます。

その後、私は更に多くの欧米のデザイナーたちと知り合いになり、各国の名店(メガネ店)のオーナーたちとも親交を持ち、数々の日本未上陸のブランドと出会いました。後に「グローブスペックス」を立ち上げ、日本の皆さんが知らなかったこれらのブランドを紹介して行く際、「AIR TITANIUM」で得た経験はその基礎となったのです。

素晴らしい発案やデザインがあっても、そのブランドに合ったやり方でその魅力や価値を広めていかなければ、なかなか最終的なユーザーにまで届いていかないのです。この「AIR TITANIUM」の経験が私はブランドの価値や魅力を伝えるプロデュースすることの重要性を学んだ最初のきっかけだったのです。

1991年当時、まだサラリーマンだった私は結果がどうなるか分からない「AIR TITANIUM」に対し、上司だった社長に「コペンハーゲンに行って発案者の話を聞いてきたいです」とお願いしたわけですが、おそらく危ない橋を渡らずに避ける人たちからすると、先が見えないことに対して後先考えずに無茶なことをするヤツ、と見えていたかもしれません。でもそうしたからこそ会えたディッシングさんの素晴らしいセンスと発案力に感動し、私は「AIR TITANIUM」をグッドデザイン大賞に導くことができたのです。そしてまた世界的建築家であったディッシングさんが、丸一日かけて日本から来た名もない若者にデンマークデザインの真髄と「AIR TITANIUM」に注いだこだわりと情熱を説いてくださったことは、今でもディッシングさんを今まで会った人の中で最も尊敬する人の一人として私に強い印象を残しました。

「AIR TITANIUM」以降もアンティークのメガネを1910年代から70年代くらいまで、ほとんどのアメリカ製品のアーカイブをコレクション化した「The Spectacle」、世界的に有名なアンティークメガネのコレクターがデザインする「Lunor」や「Gernot Lindner」、南仏の明るい街並みやポジティブで生き生きとした人たちの魅力にあふれる「Anne et Valentin」、ロバート・デ・ニーロや数々の音楽アーティスト達をもファンに持つNYの「Selima」など、異なる魅力や価値を持つブランドを「グローブスペックス」で紹介してきました。

今扱っているすべてのブランドは、それぞれ私が会って、それぞれ異なる魅力、価値、リスペクトを持つブランドばかりです。だからどのブランドも「AIR TITANIUM(現在はLINDBERG)」と同じように惚れ込んで、お客様にも誇りを持っておすすめすることができ、そのデザイナーたちとも信頼と友情で繋がっています。

世界のデザイナーたちと皆さんとの間に立って、店で商品をおすすめしたり、メディアに紹介していく「グローブスペックス」の仕事は非常にチャレンジングでありながら、やり甲斐と楽しさにあふれています。サラリーマンとしては無茶をする規格外のようなところも多々あったようですが、「グローブスペックス」のオーナーとしてはそれなりに皆様にメガネの楽しさや価値を届けられているかな、と思っています。

今後もますます面白くして行きますので、お楽しみに!

UPDATE BLOG

ブログトップもっと見る