前号のフイナム・アンプラグド「してはいけないこと、しよう」号の冒頭のコラムにも書いたが、してはいけないことってところによって違う。国、州、県、あるいは特定の集団の中でそれぞれ独自のルールがあったりする。
ミハエル・シューマッハでも一般道を運転中は法定速度を守らなくてはならない。ルールや法律というのは、広くみんなが対象なので、誰かを特別扱いするわけにはいかない。80歳で運動神経が鈍ったおじいさんでも安全に運行できるように上限を決め、それにみんなが合わせなければならないのだ。言い換えれば、いちばん足の遅い人にグループは速度を合わせなければならない。
これってあたりまえのことであるが、ある集団内ではそれが進歩の足かせになることもある。教育の現場がそうですね。足の遅いのに合わせると、飛び抜けて優秀な人が飛躍する機会を逸することになる。欧米諸国にはこれを回避するための飛び級なんて制度もあるが。
それはともかく。ルールはところによって違うということを強調したいのである。
彼の地は合法なのに、どうしてこっちではダメなんだと文句をいうのはいいだろう。行為をしない限り我々には言論の自由がある。しかし非合法とされている行いをしたらそれは罰せられても非難はできない。それが公共の定めだし、社会をフェアに円滑に回すための最低限の了解だ。
そんなことをこの度の俳優さんの逮捕ニュースを聞きながら思ったわけです。
あ、タイトルは本文と関係ありません。