BLOG - 蔡 俊行(フイナム発行人)

紅白歌合戦

 アメリカで年に一度の超特大イベント、スーパーボウルがあった。が、アメフト(アメフットが正しい表記のような気もするが。パーカー問題に通じる)の知識は浅い。なんとなくハーフタイムショーというのは例年気になってチェックするようになっている。これもYouTubeというメディアのおかげだ。

 今年のヘッドライナーは、ケンドリック・ラマー。年々このショーがよそよそしく感じる。まあ、加齢と情報量の欠如によるものなんだろうが。

 そういえば、先のグラミー賞を見逃してしまった。毎年欠かさず観ているのに。エンタメのなんたるかというのは、上記の二つのショーを観れば、なんとなく趨勢をアップデートできるような気がする。

 思い出すのは昨年暮れのNHK紅白歌合戦。新年を迎える準備の忙しい大晦日であろうが、平時10時に寝床につく自分にとっては通常運行。途中まで、しかも適当に流しているだけなのであまり大きな声で言えないが、あれなんとかならないのですかね。服装もカジュアルになりすぎて、特別なショーという雰囲気がないのが残念な気がする。

 昭和の頃、紅白といえば、もうすべての歌手、パフォーマーにとっての晴れの舞台。人によっては興奮と緊張のあまり泣き出したり、あるいは歌えなくなってしまうくらい特別な場であった。もちろん衣装もそのような場にふさわしい煌びやかで特別なものだった。センスの良し悪しは置いといて。

 しかしいつからか、たぶんジーンズにシャツというそれまでの慣習を破るパンクなシンガーソングライターが出てきた。それはそれで面白い。みんな正装の中に紛れるカジュアルというのはある意味、アナーキーで生き方の主張であった。しかし年を下るにつれて、多くの出演者がそんなカジュアルになった。

 グラミーを見て思うのは、特別な舞台に皆特別な衣装を身につけて現れている。デニムだろうがスニーカーだろうが、スタッズが付いていたり、なにか飾りがある。舞台に対する演者のリスペクトがそこにはある。

 紅白もそろそろドレスコードを制定した方かいいんじゃないかと思うのである。そして演者に自分の持ち歌ではなく、グラミーのようなコラボパフォーマンスを主体とした年に一度の特別ライブと方向を変えて欲しい。圧倒的な歌唱力を持つ演歌の歌手に誰もが知ってる往年のヒット曲をカバーさせるとか。歌ってる後ろでけん玉なんて、誰がそんな失礼な演出を考えるんだろう。

 白組紅組で分けるなんて、DEIに反するなんて声も隅の方から聞こえてきている。しかしアメリカでトランプさんが大統領に復帰し、DEI保護なんてやめちまえと大統領令にサインしたもんだから、紅白関係者は胸を撫で下ろしているであろう。なんでもアメリカに倣うのが我が国のやり方なのだから、紅白もグラミーよろしく、観ていてうっとりするようなパフォーマンスの場として再構築してほしいものだ。

 圧倒的歌唱力を持つ歌手が歌う誰もが知っている有名曲だけで構成してくれたら、このぼくも番組最後まで視聴するかもしれない。

 大トリは必ず北島三郎の「祭り」でお願いします。

 

 

 

 

 

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